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日本キリスト改革派
   大垣教会  月報
 
生命のいずみ
 
(第14号 2005年3月)
 
 
 
 

    キリストの十字架とペトロ        辻 幸宏
 
 今年の受難節は、キリストの受難に向き合ったペトロに視点を当てて、御言葉から聞こうと思っています。20日(「十字架とペトロ」マタイ26:31-35)、27日(「わたしに従いなさい」ヨハネ21:15-19)。ペトロは、主イエスの一番弟子と位置づけられ、熱心に主イエスの宣教活動に、付いて行きました。その中、彼は、おっちょこちょいな面も見せれば、トンチンカンな対応もおこないます。そうしたキャラクター故に、彼は愛され、また自らの姿を彼に重ねる方も多くあるかと思います。
 しかし、いざ主イエスが裁判にかけられ、有罪判決が下され、犯罪人に加えられ、十字架における処刑が行われようとしている最中、ペトロは、主イエスに従うことを忘れ、自らを守ることに必死になり、主イエスの弟子であることを否定することを3度も繰り返してしまいました。主イエスの弟子としては失格の烙印が押されても致し方ありません。
 しかし、復活され、ペトロの前に現れた主イエスは、ペトロを赦して下さいました。このことに対するペナルティーは、何も要求されません。生きて働き、全てを治めておられる主なる神様は、懐が大きく、ペトロを受け入れて下さいました。これが主なる神様の愛です。そして、この主の愛が、今、私たちにも注ぎ込まれています。
 私たちは、罪を犯します。致命的な失敗もします。人を傷つけることもあるでしょう。主はそのすべてをご存じであられながらも、私たちを受け入れて下さり、私たちを救いへと導いて下さいます。私たちの犯してきた罪や失敗、いやこれから侵し続ける罪をも、主は、お赦し下さっています。すでに、イエス・キリストの十字架の苦しみと死において、その刑罰が払われているからです。私たちは、キリストの愛とキリストの御業の故に、罪が赦され、永遠の生命への救いが与えられています。
 ペトロは、その後、新約の教会の中心を担い、福音宣教に与り、逆さ十字架により、死を遂げたと言われています。ペトロが主イエスへの信仰を貫いたように、私たちもまた、主による罪の赦しと愛に満たされて、主への信仰の道を歩み続けていこうではありませんか。




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