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日本キリスト改革派
   大垣教会  月報
 
生命のいずみ
 
(第16号 2005年5月)
 
 
 
 

      教会のイメージと真の教会の姿     辻 幸宏


 一般社会の人々のクリスチャンのイメージは様々であろうが、得てしてまじめであるイメージが強いのではないでしょうか? そうしたイメージを吹き飛ばしてしまったのが、報道されました。他教派ではあるが、神聖中央教会の牧師をしていた一人の男が、本来、教会にあってはならない性的犯罪事件を起こし、警察に逮捕されたのです。

 このことから私たちは二つのことを考えることが出来ます。一つは人間は、誰しもが罪に汚れ(全的堕落)、キリスト者であろうと、牧師であろうと、犯罪を犯す可能性は失われていないという事実です。キリスト者は罪赦された罪人であって、決して罪がなくなったのではありません。完全に聖化され、罪を消し去るためには、天国に入らなければなりません。従って牧師であっても犯罪を犯すことはありえます。また、改革派教会の牧師でも、性的な罪の故に、戒規にあった人は過去に存在したのも事実です。キリスト者が罪を犯すのを控えるのは、自らの罪人としての姿を知っていることと、すでにキリストの十字架によって罪が赦されている事実により、これ以上罪を繰り返さないように心懸けるからです。そうしたことの積み重ねが、世の人々のキリストものとしてのイメージ形成へと繋がって来ているのです。

 しかしいくらキリスト者が罪を犯さないようにしていても、教会の中にも罪が混入し、キリスト者が罪を犯すことは避けることができません。そのため教会においては、戒規の制度が整えられ、教会において罪が広がることがないようにし、同時に罪を犯した者が、悔い改め、信仰を新たにするように求めているのです。従って、キリストの臨在する地上の真の教会の姿とは、全く罪がない犯罪の存在しない教会ではなく、たとえキリスト者が過ちの故に罪を犯したとしても、それが主の御前で明らかにされ、戒規が執行されることにより、罪が除去され、罪を犯した者が悔い改めに導かれるよう教会から除外されることなく、受け入れられていく教会でなければなりません。

(訓練規定第3条 戒規の目的) 「戒規の目的は、キリストの栄誉の擁護、違犯者の霊的利益、違犯の懲治、つまずきの除去、教会の純潔および繁栄の増進にある。」

 



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