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日本キリスト改革派
   大垣教会  月報
 
生命のいずみ
 
(第18号 2005年7月)
 
 
 
 

      信仰告白と試問             辻 幸宏


 この度、Hさんが、受洗の志願され、加納教会小会において試問した結果、7月24日に洗礼式を行うことが許可されました。大垣伝道所にとりましては、成人洗礼としては、1997年に故杉山みね姉が受洗されて以来、8年ぶり8人目のことであります(幼児洗礼・信仰告白は、ここには数えていません)。とても嬉しいばかりです。
 しかしなぜ、自らの口で信仰を告白しようとしている者に対して、教会はあえて試問を行うのでしょうか? 加納教会は、教師2名、長老9名であり、その場において信仰の確認がされるのです。非常に緊張が強いられる場でありましょう。牧師が信仰を確認し、洗礼を授けても良いとの判断に立って、初めて洗礼の志願が出されるかと思うが、しかしなお、教会は、その信仰を慎重に審査しなければならないのです。なぜかと言いますと、二つのことを考えることが出来るでしょう。一つは、異端者が紛れ込むことです。教会員になりますと、会員総会に出席する義務も生じますし、また教会役員に選出されることも可能となります。そこにあって、信仰を偽り、神を欺いている者が、豹変し、教会を乗っ取る可能性が、万が一にも考えられるのです。教会はそれを見抜かなければなりません。そのために、教会は慎重な試問が求められるのです。
 もう一つは、信仰が一時的な感情によって高ぶり、信じているつもりになっていないかということも判断しなければなりません。正直申しまして、これまでの受洗者や信仰告白者が、信仰を失い、教会から去っている人たちもあります。信仰を見失うことが、一時的な思いであり、再び教会に戻って、真の信仰生活を取り戻して頂きたいとの願いが強いのですが、そうでないことも事実あるのです。だからこそ、教会における聖徒の交わりと一時的な感情の高まりから信仰を告白しても、時が過ぎて、感情がさめた時、信仰を忘れ、教会から離れていくことも考えられるのです。そうした一時的な感情ではなく、真の信仰を有しているかということも、教会は確認する責務が与えられているのです。



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