トップ > 牧師の部屋 > 月報(No.19)


日本キリスト改革派
   大垣教会  月報
 
生命のいずみ
 
(第19号 2005年8月)
 
 
 
 

      戦後60年で平和を問う             辻 幸宏


 戦後60年間、日本は平和であり、幸いにも直接戦争に巻き込まれることはなかった。しかし、今、日本の行方が非常に怪しい。イラク派兵、自民党の憲法改正議論、教育基本法改正議論、新しい教科書を造る会による歴史教科書・・・・。どれ一つをとっても焦げ臭い。
 戦没者を、英霊として祀るのがヤスクニ神社である。「天皇ため、お国のための死」であり、彼らの死の故に、今の繁栄があると語られる。しかし、これはただ日本においては戦争がなく、朝鮮半島やベトナムなどの周辺国において戦争があったが故に、経済的な潤いをもたらし、繁栄することとなったのではないか。戦時中、海軍も陸軍も、具体的な終戦のイメージもなく、自分たちの欲望のままに戦場を広め、将棋の駒の如くに、兵士を動かしていったのである。日本国中から、そして朝鮮半島、台湾から、そしてアジア諸国から赤紙一枚で兵士をかき集めた。そして「お国のため」と言うことで、異を唱えることなど出来ない状態に置かれていた。それを支えたのが教育勅語であり、学校教育である。そしてアッツ島において、サイパンにおいて、そいて硫黄島において、玉砕がなされた。玉砕とは聞こえが良いが、助けを求める前線に対して、援護を送る余力もなく、捨て駒の如く、ただ防波堤として死ぬことが求められたのである。沖縄においては、住民を巻き込んで、捨てられた。戦争をいくら美化しても、そこで失われた命が帰って来ることなど、あるはずがない。悲惨そのものである。
 こうした悲惨が、昨今も繰り返されている。アフガニスタンやイラクにおいてである。表面的な報道を鵜呑みにしてはならない。本当の悲惨など隠されている。表面的な報道で、戦争を正当化することなど出来ない。戦争が行われるにあたって、表面的に「聖戦」を語っても、主はそのようなことは命じていない。裏にある経済活動はどうか?軍事産業が潜んでいる。失業問題もある。政治の問題もある。知らずにプロパガンダを受け入れるのは、罪である。私たちはキリスト者である。主イエスは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)と語っておられる。真にキリストの十字架によって罪の赦しが与えられた者にとって、戦争は言うまでもなく、誰一人殺されることも、許される出来事ではない。キリストが私たちのために死を選んで下さったように、私たちも、隣人を愛し、隣人の立場になって、日本で、そして世界で平和を叫ぶことが求められている。
トップに戻る

牧師の部屋に戻る

COPYRIGHT(C) 2005 日本キリスト改革派大垣教会  ALL RIGHTS RESERVED