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日本キリスト改革派岐阜加納教会機関紙  主とともに


大垣だより
  「歴史認識をもって考えよう」     辻 幸宏


 今、日本は、誤った方向に向かっているのではないだろうか。自衛隊海外派兵、憲法(9条)改正論議、首相の靖国神社公式参拝、領土問題、愛国主義、日の丸・君が代の強制・・・。
 今、世界は、誤った方向に向かっているのではないだろうか。アフガニスタン戦争、イラク戦争に代表されるアメリカ一国中心主義・・・。
 そして今、改革派教会が、誤った方向に向かっているのではないだろうか。大会における議論の貧弱さ、創立当初から持っていたアイデンティティーの欠如・・・。

 ここには、政治的な事柄を中心に、現在社会の持っている問題を、いくつか挙げてみました。しかし私は、これらの問題の原因を突き詰めれば、一つに集約できるのではないかと考えています。それは、歴史認識の欠如です。
 今、学校で歴史を学んでいる人たちは、歴史は暗記するものだと思っていないだろうか。いつ、どこで、だれによって、何が、どのように、あった(起こった)のかを、覚えることであろう。
 しかし、私たちクリスチャンが、歴史を学ぼうとする時、主なる神様の御支配の中にあってなされた事柄として、神の摂理を念頭に、その歴史的事柄をとらえ、考えていかなければならないのです。言い換えれば、聖書的に歴史を考えていかなければならないのです。

 例えば、戦争のことを考えてみれば、戦争が引き起こされるには、そこには必ず、その原因が存在します。よく挙げられる表向きの理由は、「相手国を独裁者や封建主義から自由に(解放)する」ということです。しかしここには、「自由」の名の下に「支配」があるのです。何千、何万の人々の生命が奪われ、その何倍の人々が家族の死を嘆き、さらにその何倍もの人々が、家を失い、難民となっていくのです。しかし、「自由にする」の言葉によって、それらの多くの人々の苦しみと嘆きは、かき消されていくのです。従って、真の自由が確保されたとしても、苦しみと嘆きからくる憎しみと復讐心は、消えることはありません。

 聖書は、「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:39他)と繰り返し語っています。歴史を学ぶということは、隣人愛を貫き通すことの出来ない人間の欲望、自我の中にある罪を学ぶことでもあります。それは歴史を、自分の立場で解釈するのではなく、主の立場で考え、同時に相手の立場に立って考えることに他なりません。相手の立場を受け入れるためには、さらにそこにある背景をも知らなくては、正しく相手の立場を受け入れることは出来ません。
 日本において否定的な歴史観を持つと、「自虐的だ」との批判を受けます。しかし、歴史は客観的な事実を受け入れられる必要があり、そこにおいてなされたことが検証され、そこに混入している罪を確認し、評価しなければなりません。そして悔い改めるべきことは、悔い改め、和解していかなければならないのです。そうした広い歴史観を持つことにより、何事に対しても、キリスト者として、世界視野に立った判断が出来るのです。



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