【教会学校教案誌】カテキズム研究 「平和」  辻 幸宏牧師




〈序〉
 今日は59回目の敗戦記念日です。日本は、この間、戦争を行っていません。このことは世界に誇ることが出来ます。しかし近年、自衛隊の海外派兵の議論が盛んになされ、遂に今年に入りイラクに派兵されました。こうした中、キリスト者として、平和を築き上げていくために何が求められているのでしょうか。

〈上に立つ権威に従うこと〉
 「教会は、政治に対して口を出してはならない」と語られます。その根拠となる聖句は、「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。」(ローマ12:1-2)です。このことは、国に立てられた為政者が、キリスト者であるか否かを問わず、神様によって定められていることを語っています。そのためにキリスト者は、神様を信じる者として、為政者に対しても従うことが求められています。

〈抵抗権〉
 しかし私たちが忘れてはならないことは、私たちは、第一に神様に従わなければなりません。つまり私たちが為政者に従うのも、為政者が神様から与えられた命令に従っている限りにあることです。たとえ為政者がキリスト者であっても、過ちを犯してしまい、神様のご命令から逸れてしまうこともあります。まして、為政者が非キリスト者であれば、なおさらのことです。彼らにとって、善悪の基準が神様にありませんから、神様の求めておられる神の国の完成に向けての歩み、言い換えますと平和を築き上げることから離れていくことも十分に考えられます。このような場合、キリスト者は、神様のご命令に従う者として、為政者の行う政治に対して否を唱え、為政者の過ちを正していくことが求められています。
 日本のキリスト教会は、明治から第二次大戦中、為政者の過ちに対して、声を挙げることをほとんど行うことが出来ませんでした。それは大別して二つあり、第一に天皇を神とすること(偶像崇拝の罪)であり、第二に、朝鮮半島・旧満州・中国・台湾・東南アジア諸国の占領したこと(隣人のものを欲する・殺す・姦淫する・盗むことの罪)です。
 現在の日本のキリスト教会の状況は、過去の歴史から、ヤスクニ問題にある偶像崇拝に関しては、否を唱えていく一致がありますが、正直な所、平和を築くという点で、第二の点に関しては、ばらつきがあるのが正直な所でしょう。神様が求めておられることは、神の国の実現であり、人間が地上を治め、平和を築いていくことです。そのために私たちは、武器を身にまとうのではなく、神の武具である真理の帯・正義の胸当て・平和の福音の履物・信仰の盾・救いの兜、霊の剣を持つ必要があります(エフェソ6:10-20)。
 軍隊を持つことは、地上にあっては「普通の国」かもしれませんが、神様の御前では罪深い国であります。時間がかかり遠回りかも知れませんが、神の平和の実現のため、歩み続けましょう。
                                (2004.8.15 教会学校教案誌)  

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