【ラジオ説教】  「神の国を求めよ」  辻 幸宏牧師



  ルカによる福音書12章29〜32節 (新共同訳聖書)

12:29 あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。
12:30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのもの
    があなたがたに必要なことをご存じである。
12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。


 現代の世界を見渡しますと、イラクを初めとして今なお戦禍が絶えません。また飢えて、今日の食料すら手にすることの出来ない人たちが今なおいます。また日本でも、リストラなどのために住む家をなくしたり、今日(きょう)の食料を手にすることも出来ない人たちがいることを、私たちは忘れてはなりません。そしてそれらの人々に、今、食料が届けられるように、私たちは祈り続けなければなりません。
 ところがイエス様は「あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない」と語られます。この一節だけを取り上げますと、イエス様は非常に冷たいお方であるかのように見えます。しかしイエス様はまた、弟子たちに対して、祈るときにはこう言いなさい(11:2)と語られた主の祈りにおいて、この様に語られます。「わたしたちに必要な糧(食料)を毎日与えて下さい」(11:3)。つまり、私たちは、今、食べ物が与えられるようと、苦しみ・悲しみを神様に訴え願うことが許されているのです。そして神様は、私たちのそうした苦しみ・悲しみなど全てをご存じであられ、私たちに今、最も必要なものを、お与え下さることにより、私たちの祈りを聞き入れて下さるお方です。

 ではなぜイエス様は、あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならないと語られたのでしょうか? 続けてイエス様はこの様に語られます。「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ」(34)。ようするにイエス様は、私たちの心の在り所を問うておられるのです。つまり、自分の力で収入を得て、生きていくことが出来ている時には、神様に頼ることないのに、いざ自分の力ではどうしようもなくなった時だけ、神様に泣きつく様なことに対して、イエス様は「そうであってはならない」と語られているのです。そうした状態であれば、必要が満たされれば、再び神様から離れ、自分の力で生きていこうとするからです。

 神様は、天地万物を創造され、今なお全てを支配しておられています。そして、私たちの今日の生命を神様はお与え下さり、私たちは神様によって生かされています。それらの全て受け入れ、信じることを、イエス様は切に求めておられるのです。そして、今日も神様によって命が与えられ、生かされていることに感謝し、すべてを神様に委ねて生きることを神様は求めておられます。その上で、今日の食料の必要を、そして私たちの苦しみ・悲しみを祈りで訴えることも、「良し」として聞き入れて下さいます。神様は全てを支配し、私たちの心の中もご存じであられるからこそ、私たちの祈りは聞き入れられるのです。
 だからこそ、私たちは、何を食べようか、何を飲もうと考える必要はなく、全てを支配し、お与え下さる主なる神様に、全てを委ねていれば良いのです。
 神様を信じて受け入れることは、日々の生活における必要が、神様によって与えられることを信じることであり、さらに神の国、つまり天国における永遠の生命が与えられることをも受け入れることです。日々の生活で、朽ちてなるなるものではなく、永遠に朽ちることのない生命をお与え下さる神様を信じて、神様に全てを委ねて生きていきましょう。


                             (2004.9.6 CBCラジオ「キリストへの時間」放送)

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