祖国愛と基督教 「紀元節に於ける説教」 今村好太郎

※この説教は、戦時中の日本において現実に説教され、説教集として出版された説教です。
 同じ誤りを繰り返さないために、ここにに公開致します。



詩篇第七十七篇
 『われむかしの日いにしへの年をおもへり・・・・また我なんぢの凡ての作為をおもひいで汝のなしたまへることを深くおもはん。神よなんぢの塗はいときよし、神のごとく大いなる神はたれぞや。』(五節及一二−一三節)


一 皇紀二千六百年の紀元節を迎へて

 我等は茲に皇紀二千六百年の記念すべき年を迎へ、今日はその紀元節の日を迎へた。更に偶然にも、今日は我等の主キリストが人類の罪の贖のために、罪に勝ち死に勝ちて甦り給ひしことを記念する聖日でもある。同胞と共に我等は哀心よりの歓喜の念に溢れるのだ。特に目下は支那事変勃発以来第四年の年として、一大國難裡に此佳き日を迎へることの意義深長なるを思ふ。
 昔、神武大帝が、高千穂の宮を後に、東征の途に就き給ひてより以来、軍旅の内に年を経給ふこと六年、千辛萬苦を重ねられて瀬戸内海を経て、紀州の熊野に御上陸、それから山又山の難路を踏破されつゝ所在の的を征服遊ばされ、大和の十津川より畝傍の地に出で給ひ其處に皇居を定められ、橿原の宮を建て給ひ、人皇第一代の御即位式を挙げさせ給うた。これは丁度二千六百年前の今月今日であつた。以来天壌無窮の國の礎は固く据ゑられ、幾度の國難に遭遇するも皇室の御繁栄は彌々益々加り、國運の隆昌、民族の発展は苦しく進み、今や世界萬國の驚異の的となるに至つた。我等は今事変下にあつて、深刻なる國難を経験しつゝあるものではあるが、祖国二千六百年の歴史を懐古して、彌々益々我等国民の使命の重大なるを痛感し、又必ずや、此國難を克服したる後に、更に我大日本帝國の國運が一段と飛躍することが約束せられあることを信じて疑はない。
 此詩篇第七十七編は、今日の場合にある我等に強き暗示を与える。此詩篇記者も大なる困難の裡に、此詩を書いたものであつて、その云う處を綜合すれば、(一)我等は此艱難の日に神を求め神を仰ぐ、如何に此難局を打開するか、如何に國家と國民を導くかを思うて夜も眠をなさぬ斗りである。(二)されど、我は國民の歴史を回顧した。神は會て悩みの内に國民を棄て給うたか。困難の内に其恩恵と助けとの約束を棄て給うたことが會てあつたか。(三)而して、神が過去に於て國家と國民の内に示し給うた大いなる御業を反省した。神の道は永遠の道である。神の律法は神聖にして不変である。神は信ずる者の裡に大いなる御業をなし給うた・・・・と云ふにある。
 彼は國歩艱難の裡に大なる将来の光栄と、勝利とを仰いで輝く希望に燃やされた。我らも同じ思ひを以て、國家と國民の将来を望みみる者である。今我らは特に神に選ばれし民として、此時に当り祖国日本をしていよいよ光輝あらしめ、我國民をして、永えに栄ゆる道に立たしむる道に就て、神の御示を蒙るものとなりたい。


二 日本民族の特質

 我らは先ず、過去二千六百年来、伝統的に享け継いで来た國民精神とは、如何なるものであるかを反省したい。従来、我らはよく日本精神なるものに就いて教へられて来た。別けて、事変以来これは一段旺盛を極めて居る。然し、諸家その説く處のものは区々であつて、必ずしも一致して居ない。けれど、一言して云へば國民的精神、即ち日本精神とは、我大日本帝國二千六百年の歴史に一貫して流れて居る精神で、日本人のみが持つ固有精神である。それは、古くは古事記、日本書紀、古語拾遺の如き文献の内にも示されて居る。又神武天皇及び崇神天皇の御詔勅の内にも、聖徳太子の憲法にも、明治大帝の五ヶ条の御誓文にも、又明治維新の御詔書にも、教育勅語の内にも明示せられて居る。而して、又代々の國學者に依つて、これらの註解が反覆してなされて居る。
 或學者は之を五大精神として説いた。即ち、
 一、皇室中心主義(天壌無窮の皇運を扶翼する心)
 二、尽忠報國の精神(献身殉國の至誠)
 三、六合を兼ね八紘を宇とする精神(日本民族の理想の永遠性)
 四、進取の気象(知識を世界に求めて皇基を振作す)
 五、和哀共同の精神(家族、隣人、世界への平和愛)
 其他、種々のものが説かれ得るであろうが、先ず以上の戦陣の唱導せし處の諸説を綜合せば、大なる意義のない説と見るべきであらう。分けても我らが世界に誇るは、第一に皇室中心主義であつて、皇室と國民との間に君臣父子の美はしい関係を体現せることである。萬葉集中にある柿本人磨の長歌にも、
 やすみしし、わが大君のかむながら、かみさびせすと吉野川、激つ河内に高殿を、高知りまし
 て・・・・國見すれば山川も、よりて仕ふる神の御代かも
 (反歌)山川もよりて仕ふもかむながら、激つ河内に船出せすかも
と、其昔、吉野川の水上で朝夕に行はれた神祭は、即ちかむさび、別言すれば、神聖なまつりごとであつたと歌へるものである。即ち古へは政治は、神を祭ることであつたゝめ、之を政(まつりごと)と称したものである。之は天子の御政は、神意を國民の内になし給ふことを云つたものである。又かむろぎ(神祖)は神祖皇祖の意味であつて、政は神意に心をさゝげると共に、神意を宣布することの心で、民を治め給ふ天皇は民を治むる政治にも、國民を教ふる教育にも、治安を維持する制度、律法にも、生業を保護する産業上のことにも、皆神意のある處を体現し給ふと云ふのである。天皇が此心を以て民を我赤子として愛撫し給へば、民は皇室を我民族の生みの大親として億兆心を一にして、誠をつくして之に従ひ奉ると云う所以謂君民一体の大理想を体現し来つたのである。此大精神を詠つたものとして、古今集にも
 君を措きて、あだし心を我持てば、末の松山波もこゆべし
とか、又萬葉の中にも人口に膾炙する大伴家持の
 海往かば水漬く屍、山往かば呑むす屍、大君の邊にこそ死なめ、顧みはせじ
との有名な歌ともなつた。此、天皇が祖国皇宗の宏遠なる建國の精神を理想として、之を実現せんとし給ふ道を、『神ながらの道』と称し来つたのである。即ち、神ながらの道は、天皇が皇祖天照大神の御心のまゝに日本を治め給ふことを云ふ。又天皇が皇祖天照大神の直系の御裔に在したまひ、歴代の天皇を『現人神』即ち皇祖の大御心を体現し給ふ至尊にいますと申伝へて来たのである。此深遠な精神を以て國民を愛し給ふ御精神に対し奉り、國民は心を一にして皇運を扶翼し、彌遠長に忠誠を至さんと期す。この上下一体の精神に依つて、我日本國民は今日に発展し来たのであつた。此意味に於て、我大日本帝國は世界独特の國家國民である。これは神武大帝の建國の御精神であり、崇神天皇の御詔書の御精神であり、天智天皇の綱紀大成の御精神であり、またまた明治大帝の王政復古の御精神でもあつた。此精神は今後も愈々益々強固にせらるべきものである。


三 大和心と云ふこと

 又次に此日本國民の精神を大和心と云ふ言で言ひ現して居る。之は結局するところ、前の五大精神に外ならない。日本國民は此皇室中心、尽忠報國の精神の外に、物を統一する精神、進んで外の長所を学んで自家の短所を補ひ、知識を世界に求めて皇基を振作せしめると云ふ気象を有して居る。之が國民永遠の発展性であり、又六合を兼ね、八紘を宇とする心である。
 此多くの長所を取入れ、自家の欠陥を補ひ、多方面に学んで事物を組織統合すると云ふ精神は、明治大帝の五ヶ条の御誓文にもよく示されて居る。更に此外に日本人の精神として、自然と融合する心、単純にして明朗、清廉にして潔白、又裡に勇敢心を包蔵しつゝ外面に柔かに自己を表現する、所為みやび心なども説かれて居る。
 以上列挙した様な諸精神があるが故に、あらゆる外来の文化を摂取して今日の日本を大成し得たのである。又斯くの如き精神を有することが、よく明治以来七十幾年の短日月を以て、欧米各國が幾百年を費して築き上げた文化を、今日に築いて来た所以である。更に日本國民は時として外國の人々より、好戦國民の如く誤解せらるゝのであるが、それは大なる誤解であつて、日本國民は元来平和を愛好する國民であり、和哀協力を喜んで、他と共同して世界平和の確立に貢献する民族である。古くは聖徳太子の憲法第一条にも、『和を以て貴とし、悖ふことなきを宗とす。人皆党ありて亦達者なし、是を以て、或は君父に煩はずして、即ち隣里に違ふ。然れども、上和ぎ下睦びて事を論ふに諧へば即ち事理皆通ず何事か成らざらん』とある。明治天皇の御製にも、
 仇波のしづまりはてて四方の海のどかにならむ世をいのるかな
 四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさらくらむ
 誠に畏れ多き大御心である。此大御心を思ふ時、陛下御治世中の幾多の事変や、世界の動乱は如何ばかり陛下の御宸襟(心理)を悩まし奉つた事であらうかと拝察し奉るのである。


四 國民の信仰

 次に日本國民の宗教心であるが、敬神崇祖は、我日本國民の最も著しい特色の一である。又神武大帝を始め代々の天皇は、極めて敬神の心厚く在し給うた。前にも云ふ如く、政治は神を畏れ、神を祭る心と一であつたと云ふ故事に見ても之は証明せられて居る。歴代の天皇皆然りであつた。別けて明治大帝に於て然りであつたことは國民一同の知悉する点である。日本國民も亦此敬神の念厚き國民であつて、決して宗教に冷淡な國民ではない。佛教が日本に渡来して以来、我日本に於て異常なる発達をなしたことを見ても亦之を証明するものである。
 清原博士の如きは、日本の大思想家として、第一に聖徳太子を挙げ、次で中大江皇子と藤原鎌足をあげ、次に伝教大師と日蓮上人を数へ、次に北畠親房、吉田兼倶、水戸光國、本居宣長、加茂眞淵、平田篤胤等々を挙げて居る。その内の数名は偉大なる宗教家であつた。宗教其物についての批判は別として、如何に我が日本國民が宗教に熱心であり、信仰的に熱心であるかは、此一点を以ても推測することが出来る。
 又我日本國民は前述した國民固有の精神に養はれて来たのみならず、外来の儒教、佛教の思想を取入れて一段とその精神内容を豊富にした。而して、元来単純であつた日本國民が、かくの如く儒教や佛教の精神の影響を受けた事も事実である。別けて平安朝、鎌倉時代に入り佛教各宗の発展に伴ひ、國民は國家の事を考へ、自家の生業の事を考ふると共に、深く自己の運命を考へ、人生其物について考へるやうになつた。我國民性が佛教によりて受けた感化影響は甚大であつた。日本國民が深き宗教的教養に育くまれた民族であることは各方面に証明せられて居る。


五 基督教の使命

 我等は過去の歴史を回顧して、今日に至つた過程を検討し、更に今後の日本に我基督教が貢献せんとして居る使命に就いて大いに思ふ。
 『われ往古よりありし汝の奇しきみわざを思ひいださん。また我なんぢの凡ての作為をおもいて汝のなしたまへることを深くおもはん。神よなんぢの途はいときよし、神のごとく大なる神はたれぞや。』(詩七七・一一−一四節)
 天地の創造主なる神、此神の聖なる大精神を世に以て啓示し、体験し給うた救主イエス・キリストの御人物を思不。キリストの十字架の御精神、又旧約より新約に至る預言者、聖徒の精神を思へ、此基督教の大精神、福音の真理は今後の日本の宗教思想、國民の思想の上に、更に我民族永遠の発展の上に、我等の國民の全生活の上に、在来日本國民の見出し得なかつた尊き賜物を見出して、大なる感化影響を与ふるであらうことを信じて疑はない。
 我等は聖書の精神に依つて、個人として家庭人としてのみならず、社会人として、又國民として学ばねばならない大なる精神と教へられる。主イエスは山上の垂訓中に、
 『斯のごとく汝らの光を人の前にかゞやかせ。これ人の汝らが善き行為を見て、天にいます汝らの父を崇めん為なり。』(マタイ伝五・一六)
と仰せられた。又使徒パウロもロマ書第一三章一七節に教へてゐる。
 『汝等その負債をおのおのに償いへ、貢を受くべき者に貢をおさめ、税を受くべき者に税をおさめ、畏るべき者をおそれ、尊ぶべき者をたふとべ。』
と。我等はキリストの宗教によりて伝統の日本精神が一段深きものを与へらるゝであらうことを信ずる。別けて主イエス・キリストの十字架の上に体現し給ひし精神の如きは、我が日本國民の精神を一層高揚せしむるものである。キリストの福音によつて國民は眞の宗教なるものが如何なるものであるかを発見するに至るであらう事を信じて疑はない。(昭和十五年二月四日)

※旧字体は、なるべく新字体に変換しました(編集者)。
  



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