【ヨハネの手紙一 続講解説教】  辻 幸宏牧師

「永遠の生命」  ヨハネの手紙一 1章1~4節



ヨハネの手紙一 1章1~4節

  1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。――1:2 この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――1:3 わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。1:4 わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。




Ⅰ.世代の移り変わり
 使徒ヨハネが福音書と手紙を書き記したとされていますが、執筆年代は80年代後半から90年代初めとされています。主イエスの十字架と復活から約50年、60年が経った時代です。
 この頃、教会でも主イエスの十字架と復活を直接見た人々は少なくなり、2世・3世が多くなってきていました。ですからその信仰は自ずと違ったものとなり、キリストの十字架と復活のリアリティが薄れ、抽象的な信仰となってきた時代でもあります。そして、「キリスト教もどき」、歪んだ福音を伝える人々、つまり偽預言者・偽牧師、さらに異端者が出てきたのです。
 今の日本も同じような状況ではないでしょうか。戦後のキリスト教ブームが到来し、福音宣教が広まっていきました。戦後社会において、国造りが進む中、同じようにキリスト教会が成長していったのです。その今の教会の礎を築いた人たちの子どもたちの世代、つまり戦中生まれから団塊の世代の人々が、今の教会の中心を担ってこられたのです。そうした第二世代の人たち、牧師・長老・執事たちが引退し、この世での生涯を終え、天国に凱旋する時を今、迎えているのです。教会の礎を築いてきた初代の諸先輩方の働きを見て・聞いてこられた諸先輩と、それを知らない第三世代以降の人々とは、生き方も信仰も、おのずと違ったものとなってきているのです。今、私たちは、どのようにして、次の世代に福音を伝えていかなければならないのか、という大きな課題にあたっているのです。

Ⅱ.聖書に聞け!
 ヨハネは繰り返して「私たちが聞いたもの、目で見たものを・・伝えます」と語ります。直接体験し、見聞きした人と、それを伝え聞く者とは、おのずと感じ方は異なってきます。戦争体験や、震災体験でも同じことが言えます。「百聞は一見にしかず」です。直接それらのことと関わりのない人たちに語り、理解して頂くことは、非常に困難な業です。人間の努力・熱心も必要ですが、主に委ねなければならないことです。
 真実を知るためには、直接当事者から聞くことが必要なのです。歴史を研究する時、大切なことは一時資料です。主イエス・キリストは、2000年前に話しを行い、奇跡を行い、十字架と復活の御業を成し遂げられたのです。そうであれば、主イエス・キリストが話し、奇跡を行い、十字架と復活を遂げられた現場にいて、それを見聞きした人たちが、事実に即して、主イエスの行われた真意を汲んで語った言葉に聞かなければならないのです。だからこそ私たちは、主イエスの愛弟子であり、使徒であるヨハネの言葉、神の御言葉である聖書の言葉に耳を傾けなければならないのです。

Ⅲ.永遠から生きておられる御子と御父
 ヨハネが、私たちに語らなければならなかったことは「初めからあったもの」についてです。聖書が「初め」と語る時、それは創世記の初め天地創造の時を語っているのです。その時すでに命の言である方がおられたのです。そして天地創造はこの方の発せられる言葉により成し遂げられたのです。
 そして初めからあった命の言は、現れたのです。ヨハネはそのお方を見て、話しを聞いたのです。つまりこのお方こそが神の御子イエス・キリストです。神である方が人となられたのであり、二性一人格です。そして命の言であった御子は、御父と共にあったのです。つまり主なる神さまは、御父、御子、さらに御霊なる三にして一人の神、三位一体の神であります。三位一体と二性一人格を認めることはキリスト教会にとって大切なことです。

Ⅳ.聖餐に与る交わりに入れられている私たち
 しかし、2000年前に人となられた命の言である御子について証言を、なぜ私たちは聞くことが求められるのでしょうか? それは知的理解を求めるのではなく、信じることが求められるのです。それは神さまと私たちが霊的な交わりを持つためです。つまり御父と御子と聖徒であるヨハネや弟子たちは、交わりの中にあるのです。初めからおられる神、永遠から永遠に存在される三位一体なる神との交わりに私たちも招かれ、私たちも神の永遠の交わりに入れられるのです。つまり、神さまを信じて救われることは、キリストが十字架の死から甦り、天に昇られたように、私たちもまた、肉体の死を迎えたとしても、復活の体が与えられ、永遠の御父・御子・聖霊なる三位一体なる神さまと、聖徒たちとの交わりに入れられ、永遠の祝福に満たされるのです(参照:ウェストミンスター26:1)。

                                     (2012.10.7)

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