【ヨハネの手紙一 連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「光の中を歩む」  ヨハネの手紙一 1章5~10節



ヨハネの手紙一 1章5~10節

  1:5 わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。1:6 わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。1:8 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。1:9 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。1:10 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。





序.
 主イエス・キリストの十字架と復活から50~60年経ち、主イエス・キリストの十字架と復活を直接知らない世代が多くなっていました。そのため、キリスト者の信仰は、抽象的・世俗的になってきています。また、福音から離れ、キリスト者を惑わす偽牧師、偽教師、異端者たちが教会の中に入ってきています。そうした中、主イエス・キリストと共に生活し、主イエスの言葉と奇跡を見聞きした使徒ヨハネは、改めて福音の証言を行います。

Ⅰ.聖俗二元論を否定する神
 偽教師の中に、「神との交わりを持ちつつ、闇の中を歩む」ことを認めることを語る人たちがいました。「闇」とは、罪・悪のことです。つまり彼らの主張は、律法廃棄論者であり、神による救いは霊的なものであり、肉的なこの世の生活は救いとはまったく関係がないために、この世における生活は自由なのだ、好きに生きれば良いといったものです。
 主イエスは、律法主義者たちに対して、福音から離れた生き方であり福音に生きることを求められました。彼らの主張は、律法を守ることによって、救いが与えられるのです。改革派教会の創立宣言は、私たちの信仰は「律法主義者」でも「律法廃棄論者」でもないと主張しました。つまり、私たちに与えられた救いは、主なる神さまの御計画に基づいて、主によって一方的に与えられた救いが実現するのであり、救われ、罪赦された者が、救いの喜びに満たされて、律法に従って生きるのです。
 そのためヨハネは、神による救いに入れられた者が、律法廃棄論者でないことを教会と社会に示す必要がありました。神の主権です。神の御支配は、どこまで及ぶのか? 律法廃棄論者たちの思いは、神の御支配の範囲は霊的な分野のみで、肉的な所にまでは及ばない聖俗二元論です。しかし神の御支配はこれほど小さなものではありません。主は天地万物を創造し、私たち人間を創造された時、主は人間を神に似せて造られ、命の息を吹き入れて下さったのです。主は創造された天地万物を、そして私たち人間のすべてを今なお御支配になられています。私たち人間は、主のお許しがなければ、今の時も生きることは出来ないのです。そして、すべてを御支配になられている主なる神さまは光であり、闇が全くなく、完全な義・聖・真実なお方です。

Ⅱ.すべてを明らかにされる主
 悪事も、言葉にしない心の中も、人に対しては隠し通すことが出来るかもしれません。しかし神の御前では何一つ隠すことが出来ないのです。この時私たちは、神さまの御前に自らの姿を顧みなければならないのです。主は私たちのすべてをご存じであり、その行い、口から発する言葉、心の中までを知っておられます。そして主の御前では、私たちのすべてが、律法(十戒)の言葉に適っているかが問われるのです。主イエスは、金持ちの青年の譬えをお語りになりました(マタイ19章)。彼は救われるために神の律法を一生懸命に守っていることを主イエスに伝えました。行いだけでは守ろうとすれば守ることが出来るのです。しかし主イエスは彼の心を見ておられます。「隣人を自分のように愛しなさい」(同22:39)とお語りになる主は、「盗んではならない」とお語りになります。そして隣人としての貧しい者の苦しみを覚える時、自らの持っているものを分かち合うことを求められます。ここに主の愛が示され、「持っている物を売り払い、貧しい人々に施す」(同19:21)とお語りになるのです。これが出来ない弱さ、罪が私たちの内に潜んでいるのです。
 だからこそ、「自分には罪がないと言うなら、自らをあざむいており、真理はわたしたちの内にはない」とヨハネは、偽教師たちの教えを否定します。

Ⅲ.救いに生きる人生
 同時に、主は私たちを愛していてくださり、私たちの罪を赦し、救ってくださいます(9)。つまり、御父・御子・御霊の三位一体なる神さまは、自らの罪を受け入れ、主を信じる者に対して、救いをお与え下さいます。この私たちを救うために、御子は十字架にお架かりになり、私たちに代わって私たちの罪の刑罰を担って下さいました。だからこそ、私たちは自らが罪人であることを受け入れ、主の御前に告白し、悔い改めることです。そして私たちの罪の贖いと救いのために、御子イエス・キリストが十字架に架けられたことを信じることです。そうすれば主から罪が贖われ、救いが与えられます。信じる者は救われます。
 さらに私たちは、神との豊かな交わりがあり、神との交わりに生きるキリスト者は、神が行われること、神が求めておられることを実践していくものとなるのです。つまりキリストに倣う生活が求められます。主は、主の御声に聞き従い、主の指し示される律法に従った歩みを求める私たちを良しとして下さり、神の恵み、祝福に満たして下さいます。そして、私たちは、律法としての十戒により自らの罪が示されたように、同じ律法を用いて、主が求めておられる光としての義・聖・真実な生活を知り、それを求めた歩みを行っていくことが出来るのです。

                                     (2012.10.14)

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