【ヨハネの手紙一 連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「廃れない主の掟」  ヨハネの手紙一 2章7~11節



ヨハネの手紙一 2章7~11節

  2:7 愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。2:8 しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。2:9 「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。2:10 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。2:11 しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。



Ⅰ.新しい掟
 新しいことが与えられると新鮮さを感じます。教会においても新しいことを行うことが求められます。一方、新しい教えが広がりを見せる時、注意しなければなりません。この手紙は、AD90年頃エフェソにおいて記されたと考えられていますが、この当時、ローマ・ギリシャを中心とした地域に、グノーシスという思想が盛んに唱えられていたのですが、その影響が、キリスト教会の中にも入ってきていたのです。
 グノーシスはギリシヤ語で「知識・知恵」を意味しますが、「人間はグノーシス(知恵)を持つことによって救われる」と言われていました。たとえば、人間の起源・本質・未来はどうなっているかといった根本的な問題についての解答としてグノーシスを持つことが求められたのです。元来は哲学的な思想ですが、教会にも入り込んできたのです。つまり、グノーシスをもたらすのがキリストであり、それを霊的直観によってとらえるように教えたのです。グノーシスを得ることによって、人間は霊の世界の無知から解放され、不死を得て救いがあると考えていたのです。
 ヨハネは、キリスト教の真理がグノーシスのようなうさん臭い教えではないことを主張しつつ、キリスト教の真理を再確認しようと主張します(2:7)。ここで注意しなければならないのは、通常新約聖書が「古い掟」と語れば「旧約聖書」を指しますが、ここではグノーシスに対する「古い掟」としてのキリストの教えのことです(2:6参照)。では具体的に古い掟とは何か? あなたがたも互いに愛し合いなさいです(ヨハネ13:34-35)。キリストの愛は、十字架において頂点を迎えますが、洗足(同13:14-15)やサマリア人への譬えで示されています。
 キリストの教えは、十戒の第二の板(第五戒~第十戒)の要約そのものです。ヨハネは、これが恒久的力を持っていると語るのです。キリストこそが、闇の中にいた私たちに光を与えて下さった方です。グノーシスが語るように、何か難しいことを学び、知恵を付けたら、より神さまを知ったように思うかも知れないが、それは全くの間違いなるのです。
 しかしこのグノーシス的なことは、現在もはびこっています。原子力発電所の問題も然りです。今まで社会は、最先端の科学技術である原子力発電所だから、中身は分からないが、賢い人たちが行っているから大丈夫だと思ってきたのです。しかしここに多くの嘘が隠されてきていたことが明らかになっています。クリーンエネルギーと言われてきました。しかし実際には、多くの被爆労働者を出し、使い捨てにしてきていたのです。声なき声があります。ここに人権などありません。多くの犠牲の上に、原子力発電がまかり通ってきていたのです。また、核燃料サイクルにおいて、永久にウラン燃料をサイクルして用いることが出来るように言われてきました。しかしそれは極一部、一回限りしかサイクル出来ず、さらに多くの核廃棄物・放射能を出し続けていくことが明らかになっています。そしてこの核廃棄物は、100万年単位で保管し続けなければ安全は確保されないのです。偉い人が作ったシステムだから、偉い人が大丈夫だと語っているシステムだから安全だと思い込んできたのであって、これは疑わしい新しい掟としてのグノーシスそのものです。

Ⅱ.光の中を歩む
 私たちが考えなければならないことは、隣人に対する愛があるかどうか、つまり労働者の安全が確保されているか、事故が起こった時に周辺に住む人々の安全が確保されているか、残された核廃棄物に対して将来に生きる人たちに対する安心が確保されているか、そのことを問いかけなければならないのです。しかし現実には、電気の安定供給、電気料金を安くするといった経済的なことを語りつつ、一番大切なことを議論しようとしない人々が多く、そうした人々が政治を行っているのです。私たちは難しいからと議論を避けていてはダメなのです。互いに愛し合うこと、それは何も訳の分からない新しい教えではなく、昔ながらの掟です。ここにこそ、イエス・キリストによる光があり、真理があるのです。
 私たちは理解出来ない科学技術や、一見真新しそうに聞こえるキャッチコピーに踊らされてはなりません。科学技術は主が私たち人間にお与え下さった恵みです。すべてを否定するものではありません。しかし、主の真理、まことの光の輝きである掟に照らして、闇の部分、うさん臭い部分がないか私たちは確認し、闇を取り除く働きを続けなければなりません。聖にして義の基準をお与え下さったキリストが、すでに私たちの所に来られたのです。キリストが、この世での歩みを遂げられ、私たちに生きていく模範を示された後、十字架の死を遂げてくださったのです。キリストが、私たちの持っている罪を背負われ、十字架に架かってくださったのです。
 キリストは、人を愛し、人を生かすために来られ、人に仕えてくださったのです。そのキリストが、「私に倣いなさい」とお語り下さっています。私たちは互いに愛し合うことが出来たから救われたのではありません。2:10 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。これは、いつも光の中にあるからこそ兄弟を愛することが出来るのです。だからこそ、そういった人は、人をつまずかせることがないのです。

                                     (2012.12.2)

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