【ヨハネの手紙一 連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「若い人たちへ」  ヨハネの手紙一 2章12~14節



ヨハネの手紙一 2章12~14節

  2:12 子たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
  イエスの名によって/あなたがたの罪が赦されているからである。
2:13 父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
  あなたがたが、初めから存在なさる方を
  知っているからである。
    若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
  あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。
2:14 子供たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
  あなたがたが御父を知っているからである。
   父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
  あなたがたが、初めから存在なさる方を
  知っているからである。
    若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
  あなたがたが強く、
  神の言葉があなたがたの内にいつもあり、
  あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。



序.
 日本社会もですが、日本の教会も高齢化し、弱体化しています。主は生きて働いておられ、私たちを支配しておられますが、主は私たち日本人キリスト者に何を求めておられるのか。主なる神さまの御前に立ち、一人ひとりの信徒が主の御前に畏れを抱き、教会が一つになることが求められています。今年一年間、私たちは標語で確認してきたことです。

Ⅰ.主の御前に生きるキリスト者
 私たちを救いに導いて下さる神さまは、私たちの罪を赦して下さる愛の神です(12)。私たちの行い、私たちの信仰ではなく、まず主が私たちを選び、主イエス・キリストの十字架の御業の故に、「あなたの罪は赦された」と宣言し、私たちを神の子とし下さいました。そしてキリストの十字架によって私たちの罪は赦され、神の愛が示されたのです。
 しかし私は最近思います。「今のキリスト者は、この神の愛に甘えているのではないか」と。つまり、主は全地万物を創造し、私たち人間を創造して下さったお方です。主が創り主であり、私たちは主の被造物です。主の御前にひれ伏すことが求められているのです。しかし、私たちキリスト者も、神の存在が非常に小さくなっているのではないでしょうか。なんだかお友だちか、祈りを聞き遂げなければならない家来かのようにです。それは、牧師を含めて、多くの人たちが日々の生活に追われ、主の御前にひれ伏し、主の御声に聴く時間が非常に短くなっているからです。
 私たちは、日々呼吸し、水を飲み、食べ物を食べています。私たち人間は肉において生きるように霊において生きなければなりません。つまり霊の呼吸としての神との交わり、祈り、霊の水である御言葉と聖礼典、肉の糧としての教理・信仰告白に学ぶことです。肉を食べることにより、成長することが求められます。神の御前に生き、神によって霊的な成長が与えられる時、私たちはキリスト者として、歩み続けることが出来るのです。

Ⅱ.すべてのキリスト者への呼びかけ
 さて聖書は、「子たちよ」、「父たちよ」、「若者たちよ」と語ります。年齢順ではありません。「子たちよ」とは「神の子たち」つまりキリスト者全員を語っています。それに対して、「父たち」、「若者たち」とは、年齢順であり、言い換えれば「信仰の養いを受けてきた教会役員として働いている者」と、「まだ信仰の浅いこれから信仰生活の養いに与っていく者」のことを語っているのです。
 そして神の子たち、すなわちすべてのキリスト者は、信仰を告白し、主からの召命が与えられ、義とされ、子とされており、罪が赦されているのです。私たちは主の御前に立ち、隣人の前で、日々、様々な罪を犯し、滅びに向かっていたのであり、最初に悔い改めを確認しなければなりません。つまり創造主であり、救い主である神を知ることと、主による罪の赦しを受け入れることを、信仰者は第一にしなければなりません。

Ⅲ.父たちへ、若者たちへ、そしてすべてのキリスト者へ
 ①父たちに
 今の時代、「神は死んだ」とさえ言われ、多くの人たちが神の存在を受け入れない世俗主義が日本全体を覆っています。こうした中私たちキリスト者も、主の御前に立つ畏れ、主の裁きに対する恐れが薄れているのです。しかし、主は「わたしはある。わたしはあるという者」(出エジ3:14)です。永遠の神は、最後の審判と神の国の完成も約束して下さっています。だからこそ神の救いに喜びを持ち、神を礼拝することに熱心になるのです。
 ②若者たちに
 選挙では強い国をつくることが叫ばれています。強いことは誰にとってもあこがれです。しかしこれは一国中心主義です。私たちは何と戦うことが求められているのか? 国と国との争い、人と人との争いは、罪の故に生じてきたのです。私たちが本当の意味で勝利を遂げなければならないのは、死・罪・サタンに対してです。神を信じることは、死と罪・サタンに勝利して下さったキリストの十字架の贖いを信じることです。神を信じ、神の国に入ることは朽ちない宝を手に入れることであり、キリスト者として最も大切なことです。
 ③信仰の成長のために・・・
 教会が成長していくためには、教会員一人ひとりが、いつまでも乳飲み子のようであってはならず、信仰の成長が与えられていかなければならないのです。そのために、まず、私たちが何と戦っているのか、つまり、死・罪・サタンとの戦いであることを理解しなければなりません。その上で、常に御言葉と教理の養いに与り続けることが求められているのです。

                                     (2012.12.9)

COPYRIGHT(C) 2012 日本キリスト改革派大垣教会  ALL RIGHTS RESERVED



戻る