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【礼拝説教】  「神の御計画」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙一1章1〜2節

  1 イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。2 あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。




T.ペトロからの手紙
 ペトロの手紙の書き出しは、パウロの手紙と同様、当時の手紙の定型の形を取ります。つまり、「○○から○○へ。恵みと平和があなたがたにあるように」です。
 著者は、使徒ペトロです。「イエス・キリストの使徒」と名乗れるのは、主イエス・キリストから直接、その召しを受け、その働きに認められた12使徒とパウロに限られます。そういう意味では、旧約時代の預言者・祭司・王、また新約時代の牧師・教師・長老・執事とは異なった、特別の召しを受けた働き人です。しかしペトロが手紙の著者であることに、疑義を唱える人々が後を絶ちません。ユダヤ人の漁師であったペトロが、流暢なギリシャ語を話し、書くことが出来たのか? 時代背景からしても、ペトロの時代とは合わないのではないか? ペトロが手紙の宛先である小アジア地方との接点がないなどです。
 ここでは、言葉の面のみ指摘します。一般に漁師は無学であると考えられ、外国語であるギリシャ語を語ることは出来ないと思われがちです。当時のユダヤはローマの属国で、ローマの監督・兵隊を初め様々な人々がユダヤにいました。彼らと交流を行い、生活を共有するためにギリシャ語を用いることを求められたのです。そうした情況から、ペトロがヘブライ語のみならず、ギリシャ語も語り、執筆することも出来たと言えます。また、シルワノが口述筆記したのであり(5:12)、彼が文体を整えたことも考えられるのです。

U.選ばれている人たちへの手紙
 さてペトロは、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地の教会に手紙を書き送ります。場所に関しては聖書巻末8の地図で確認して下さい。小アジア地方です。それぞれの教会が、パウロか他の誰によって形成されていたのかは分かりません。また、ペトロがそれらの教会とどの様な関係にあったかも分かりません。しかしペトロは、これらの教会の信徒たちが、苦しみを覚えつつ信仰生活を送っていたことを伝え聞いていたのは事実であり、ペトロは彼らに対する励ましの手紙を書いているのです。
 「離散している」とはギリシャ語で「ティアスポラ」です。通常は「離散ユダヤ人」を指します。ユダヤ人はバビロン捕囚により国を追われて以来、各国に散らばっていたのです。しかしこの手紙は何も離散ユダヤ人のみに記されているのではありません。教会には、離散ユダヤ人もいれば、ローマの市民権を持った者もいれば、奴隷もいるのです。彼らの苦しみは異教社会における他人の無理解と迫害であり、信仰の戦いが強いられたのです。つまりここでの「離散者」とは小さな教会に属するキリスト者たちのことで、時を超え場所は異なりますが、現在の私たちに語られている手紙でもあるのです。
 またペトロは「仮住まい」とも語ります。キリスト者は地上の生涯、仮住まいなのです。パウロは「我らの国籍は天にあり」(フィリピ3:21)と語ります。創造主によって創造された被造物としての人間の本来あるべきもっとも祝福された場所は、この世ではなく神の国です。そして地上の生涯は、永遠の神の御国における生命に対して、仮住まいなのです。
 この世における生活は、偶像や世の権力者との間に信仰の戦いを避けて通ることは出来ないのです。しかしこれはあくまでも仮住まいにおける生活であり、本来あるべき神の国の神からの祝福は約束されているのです。

V.主のご計画
 ペトロは続けて、「キリスト者は神に選ばれた人たちであり、父である神があらかじめ立てられたご計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされている」と語ります。私たちが神の国に入ることは、主なる神さまの永遠のご計画に定められており、そのご計画に基づいて、私たちはキリスト者となるように定められています。だからこそ、周囲の人々から信仰の故に迫害されたり後ろ指さされているキリスト者にとって、主のご計画が示されていることは慰めの言葉となります。それは神が定めて下さっているからこそ、この信仰が失われないように主によって保たれ、苦しみを乗り越えることが出来るからです。
 さらにペトロは、「キリスト者となることは、キリストの十字架の血により、聖なる者とされていること」であると語ります。キリスト者となることは、キリストによる救いを受け入れ信仰告白するのですが、洗礼を授かることにより、キリストの十字架により、罪は贖われ、罪が償われ、聖なる者とされるのです。そして、さらに聖餐式の度に、主によって聖なる者とされていることを確認し、神の御国における永遠の生命を仰ぎ見つつ、希望に満たされ、この世における様々な労苦、艱難、迫害に対しても、戦い抜く力が与えられていくのです。この様に、主によって召されキリスト者とされている者たちは、主によって与えられる神の国の祝福を目指しつつ、この世にあっては様々な艱難の中にあっても、主によって支えられ、信仰生活を貫いていくことが許されているのです。
 そして、ペトロは、こういう人たちこそが主からの恵みと平和が豊かに与えられるように主に祈りつつ、励ましの手紙を、各地に離散している教会に、そして私たちに対して書き送ろうとしているのです。

                                     (2008.1.6)
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