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【礼拝説教】  「試練を乗り越える」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙一1章6〜7節

  6 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。



T.神による試練と神の救い
 皆さまの中に、今試練の中苦しみ闘っている人たちもあるでしょうが、ペトロが書き送りましたこの手紙を受け取った教会もまた、信仰の故に迫害されたり、身分の違いによって、多くの信徒たちが試練の中に置かれていたのです。そして主によって愛され、キリストを宣べ伝える者とされたペトロは、彼らの苦しみを共有しているのです。主なる神さまを信じてキリスト者になったからと言って、試練が無くなるわけではありません。そのため、ペトロは「すぐに試練を乗り越えられ、楽になる」様な楽観的なことは語りません。むしろ「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれない」と語ります。「苦しみを取り除いて下さらない神など信じるに値しない」と思われる方もいるでしょう。しかし主を信じてクリスチャンになることは、この世的な御利益宗教ではないのです。
 ではなぜペトロは、夜寝ることも出来ないほど苦しみにあるキリスト者に対して「あなたがたは、心から喜んでいるのです」と語ります。テキストの最初に「それゆえ」という言葉がありますが、この言葉に重要です。試練の中にあっても、心から喜ぶことが出来るのはなぜか。それは3〜5節に答えが記されています。主なる神さまを信じて、イエス・キリストの復活に与ることにより、私たちもキリストにあって新たに生まれさせられ、復活の生命と永遠の生命の祝福に満たされるのです。そして永遠の生命が与えられる天国において、朽ちず、汚れず、しぼまない主からの財産を全て受け継ぐ者とされているのです。それは、創造者であり全ての統治者である主なる神さまによって作られた被造物である人間にとって、最も祝福された状態です。だからこそ主を信じ、この永遠の生命の祝福が与えられることによって心からの喜びに満たされるので、この喜びは、今の苦しみ・試練にはるかに勝るものであるのです。
 ペトロはどれだけ苦しく喜べない情況にある人にも、「常に持たなければならない」と語っているのではありません。人間的な弱さがあり、本当の苦しみにある時には、人は喜ぶことは出来ません。しかしそういう人でも、全てを御支配したもう主なる神さまによる救いにあることを覚える時、心の奥底には平安があり、歯を食い縛り、試練を乗り越えていく力が与えられていくのです。言い換えますと、全てを支配し、今なお私たちと共におられ、私たちに力を与え続けておられる主なる神さまの存在がはっきりと示され、キリストの十字架による主の救いを全面的に受け入れる時、心の平安、心からの喜びがあり、苦しみの中、試練の中にあっても、それに耐え、乗り越える力が与えられるのです。

U.試練によって精錬される私たち
 では、私たちの苦しみも悲しみも全てご存じである主は、なぜ、今すぐに私たちを苦しみから解放することをしてくださらないのでしょうか。それは私たちが罪人だからです。主は聖・義・真実な方であり、主によって私たちが救われ、神の子とされます。しかし私たちの現実は、行い・言葉・心において主の御前に罪とされることを毎日繰り返しているのです。こうした情況は、神の子として相応しくありません。そのため、主は神の子に相応しい者となるために、私たちに試練を与えられるのです。そのことをペトロは金の精錬を譬えに語ります。つまり私たちは神の子とされたのですが、なおも罪・汚れといった不純物が沢山混入しているのです。それを金が不純物を取り除くために、罪を取り除くために精錬されていかなければならないのです。それが私たちに与えられた試練です。
 しかし同時に主が私たちと共にいて下さるからこそ、どの様な試練に対しても、私たちは守られるのです(Tコリ10:13)。そして試練を通して、罪が示され、悔い改めへと促され、主の御前に謙虚にさせられ、聖化されていくのです。

V.信仰の成長が与えられる試練
 金が精錬される時、一度に24金と呼ばれる純粋な金に精錬されるわけではありません。最初に鉱山から掘り出された鉱石は、多くの不純物が混入されており、最初に不純物のみ取り除かれます。次の精錬によって金属毎に分けられて行き、最後に金のみが残ります。さらに純粋な金を生成するためには、僅かな混入物を取り除くために精錬が繰り返される必要があります。そうして18金、24金、99.999999%の純金へと精錬されていくのです。
 私たちのこの世の歩みの中にあって、繰り返し繰り返し、苦しみと試練がもたらされるのも同じ事です。試練が繰り返されていく時、私たちは自分自身でなかなか成長しないと思いがちでありますが、それらの試練を繰り返す度に、主は私たちの信仰を強め、神の子に相応しい者へと日々成長させて下さっているのです。
 私たちは苦しい時ほど、自分で何かをしなければならないと、もがいてしまうのですが、そういう時ほど、興奮状態にあり冷静に判断する能力すら失っており、その問題に適切に対処することは出来ないのです。しかし主は「心から喜びましょう」と呼びかけて下さっており、そこに救いの確信があります。主が共にいて下さり支えていて下さいます。だからこそ、私たちは、苦しみの中にある時こそ、主の御前に立ち帰るべきなのです。
 主の御前に立ち、主に全てを委ね、主に祈り求めるべきなのです。

                                     (2008.1.20)
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