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【礼拝説教】  「神を畏れる生活」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙一1章17〜19節
  17 また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。18 知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、19 きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。



T.「恐れ」と「畏れ」
 説教題を「神を畏れる生活」としました。これは、私たちが主なる神さまをどの様な方として信じているかという信仰の反映でもあります。
 「おそれる」と語る時、通常「恐」が用いられます。そして「畏」は同義語とされています。しかし信仰を語る上では、「恐れ」と「畏れ」は使い分けた方がよいでしょう。その違いは何か?「恐れ」とは、権力や軍事など力におびえる、恐怖の状態にあることです。一方、信仰生活において主なる神さまを畏れることは、恐れおびえる生活ではないのです。確かに、未信者、不信者にとっては、自らの生活により主による最後の審判を待たなければならず、恐ろしい神でかもしれません。主は人の行い・言葉・心の罪に応じて公平に裁かれる方だからです(17)。しかし、裁きを主に責任を押しつけることは出来ないのです。
 しかし、主による救いに与るキリスト者は、そうした恐怖を持つ必要はないのです。私たちは主によって与えられた信仰によって、裁きの座における無罪とされているからです。本来ならば、私たちも自らの行いにおいては主の御前に裁かれる存在でした。主の裁きは公平だからです。しかし主は、主を信じる者に対して「私たちの父さん」と呼ぶことをお許し下さっているのです。そして、神の子どもとしての全ての特権を主は私たちにお与え下さっているのです。ウェストミンスター信仰告白 第12章 子とすることについて
 [一]義とされた者たちすべてを、神は、その独り子イエス・キリストにおいて、また彼のゆえに、子とする恵みにあずかる者としてくださる。これによって彼らは、
[第一に]神の子たちの数に入れられて、神の子たちの自由と特権を享受し、
[第二に]神の御名をその上に記され、
[第三に]子とする霊を受け、
[第四に]恵みの御座に大胆に近づき、
[第五に]「アッバ、父よ」と呼ぶことができるようにされ、
[第六に]父によってされるように、神によって、憐れまれ、守られ、必要を満たされ、懲らしめられる。
 しかし、決して捨て去られてしまうことはなく、かえって贖いの日のために証印され、永遠の救いの相続人として、もろもろの約束を受け継ぐ。
(松谷好明訳)

U.キリストの贖いに与る者
 主なる神さまに対する「恐れ」はどのようにして「畏れ」に替わるのでしょうか?私たちが主の御前に立派な行いを行った結果ではありません(参照:ローマ4:5)。キリストの十字架の贖いによります(18-19)。主による裁きを恐れて生きることはむなしい生活です。地上の生涯で、いくら素晴らしい功績を残した人、富や権力を手に入れた人でも、神さまに出会わず、主による裁きを待つ人生は空しいのです。富も、権力も、名声も、墓場まで持って行くことは出来ないからです。しかし主なる神さまは、私たちを恐怖と空しい人生から贖って下さったのです。「贖い」つまり、私たちは主によって買い取られ、神の所有物、神の子とされたのです。そのため金や銀のように朽ち果てるものから、永遠に生きる者とされたのです。主は私たちを、きずや汚れのない小羊であるキリストの十字架による尊い血によって贖って下さったからです。永遠から永遠に生きておられる神の御子キリストが、私たちの代価として支払われ、キリストは私たちの恐怖である刑罰を、十字架においてお受け下さったのです。だからこそ、主を信じる者の恐怖は取り去られているのです。

V.地上での仮住まいの時
 だからこそ、人の行いに応じて公平に裁かれる神さまは、このキリストの贖いによって、私たちを無罪として、永遠の生命に与らせて下さるのです。そのためキリスト者にとって父なる神さまは、恐ろしい神ではなく、私たちを救いに導いて下さった愛と憐れみ深い神さまなのです。だからこそ、私たちは感謝の念を持って主に仕えていくものとされていくのであり、畏れ、つまり「畏敬」、敬いとなってくるのです。
 また、主なる神さまによって永遠の生命が約束されているからこそ、この世における生活は全てではなくなるのです。この世においてでしか価値のない、富や権力、名声などを追い求める必要もなくなるのです。それがペトロの語る「地上での仮住まい」です。
 つまり、この世はキリストにとって安住の地ではありません。永遠の生命をお与え下さる主を見上げつつ、畏れかしこんで生活する場です。そうした信仰生活を送ることは、同時に死に対する恐れを持ち、主なる神さまによる裁きに対する恐れを持っている人たちに対しても、主を証しすることとなり、福音宣教の前進へと繋がるのです。

                                     (2008.2.17)
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