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【礼拝説教】  「神による信仰と希望」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙一1章17〜21節
  17 また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。18 知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、19 きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。



T.主のご計画
 17節でペトロは、「あなたがたは、・・・この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです」と語ります。ここに三つ理由が語られています。第一に、主を信じるキリスト者には、公平な裁きを行う方を父と呼びかけることが許されており、裁きではなく救いが与えられることです。第二に、キリストの貴い十字架の血による贖いの故です。
 そして三番目が今日取り上げます20〜21節で語られることです。キリスト者に与えられている希望とは、なにも予想に基づく希望的な観測や楽観主義、感覚的なものではありません。主によって与えられる希望はすでに決定されたことであり、それも主なる神さまにより、裏切られることのない揺るぎないものなのです。つまりこの希望とは、主なる神さまによる永遠のご計画に基づくものなのです。今、私たちが神を畏れて生活する理由を三つ語りましたが、それぞれは、バラバラにあり、偶然に揃ったのではありません。主は、天地万物を創造される前に、全てをご計画されました。この主のご計画の内に、キリスト者一人一人を召し上げ、神の子として生命の契約を結ぶことが入れられているのです。また私たちを救うために、御子が人となられ、十字架の贖いを成し遂げて下さることも、神の計画に入れられているのです。主のご計画の内に、私たちの救いと祝福の全てが含まれているのであり、このことは非常に重要になことです。
 しかし私たちの思いからすれば、計画が立てられても、中止や変更されることが有るのではないかと考えてしまいます。しかし天地万物を創造し、全てを統治されておられる主なる神さまは、聖・義・真実な方であり、永遠(時間)・無限(空間)・不変(変化)の霊です。そのため、御自身が永遠の内にご計画されたことは、変更されることは決してあり得ず、主のご計画は必ず成就するのです。だからこそ、主がキリストの十字架の贖いの故に、キリスト者を救って下さると約束により、私たちは平安に導かれるのです。

U.預言と成就
 主のご計画が不変であることを、私たちは聖書全体から確認することが出来ます。旧約の時代、人は罪を犯し、主なる神さまから離れ、罪の故の死を逃れられなくなりました。しかし主はイスラエルを立て、一方的な救いをお与え下さいます。イスラエルはなおも罪を繰り返しますが、主はその度にイスラエルに罪の悔い改めを求め、時には懲らしめて国を奪いながらも、なおイスラエルを救い続けて下さったのです。
 そして主の約束が不変であることは、出エジプトにおいても確認できます。主はアブラハムに四百年間奴隷として仕え、その後に助けられることを約束されます(創世15:13-14)。そして主は400年後、モーセを立て、イスラエルをエジプトの奴隷状態から救い出し、約束の地カナンに導き入れて下さいました。またバビロン捕囚から残りの民がエルサレムに帰還することによっても確認することが出来ます。
 また主の約束が成し遂げられることは、メシア預言によって最高に達します。メシアは旧約の時代に約束され、キリストによって成就します。その中で私たちが着目すべきはキリストの十字架です。旧約のイスラエルの民は、罪の償いとして、動物の生け贄が求められます(レビ22章)。そして主に献げられるべき生け贄は、傷のない、牛、羊、山羊の雄が求められます。イスラエルの民は繰り返し傷のない動物の生け贄が献げます。しかし彼らはその生け贄により、やがて与えられるメシアによる完全なる罪の贖いを信じたのです。そしてキリストは、きずや汚れのない小羊として、私たちの罪を背負うて、十字架にお架かり下さったのです。

V.「すでに」と「いまだ」
 そしてキリストは、十字架における贖いを完成され、三日目に復活し、栄光のうちに天に昇られました。つまりすでに私たちの救いのためのキリストの御業は完成されたのです。そして今、キリストは天にあって、私たちのために取りなして下さり、神の宮である教会に導いて下さり、救いの道を歩ませて下さっています。私たちには救いの約束が示されているのです。この救いの約束は、キリストが十字架の死から復活を遂げられたように、主なる神さまを信じ、キリストの十字架の御業を信じる者には、肉体の死を遂げたとしても、キリストが再臨された時、キリストと同じように復活の体が与えられ、神の御国に入れられ、永遠の生命が約束されているのです。
 だからこそ、キリストの御業を受け入れキリスト者とされた者は、キリストによって主なる神さまの永遠のご計画を受け入れ、私たちに約束されている神の国における永遠の生命に至る救いを信じることが出来るのです。
 そして、私たちに与えられる救いの希望が揺るぎないものであるからこそ、私たちの信仰も揺るぎないものとなり、主に仕え、神を畏れた生活へと促されていくのです。

                                     (2008.2.24)
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