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【礼拝説教】  「不変の愛」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙一1章22〜25節
  22 あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。23 あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。24 こう言われているからです。
  「人は皆、草のようで、
   その華やかさはすべて、草の花のようだ。
   草は枯れ、
   花は散る。
  25 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。



T.キリストに接ぎ木される者
 私たちクリスチャンは外見上は未信者と同じように日常生活を送っています。しかし未信者はこの世における生活がすべてです。70年、80年のこの世の生活を楽しもうと、自分の思いのまま生きるのです。しかし主は「この地上の生活は仮住まいである」(17)と語ります。つまりキリスト者はこの世におけるわずか70年、80年の人生が全てではありません。この世の人生に次ぐ神の国での永遠の生命であり、地上における最も高価と言われる金や銀であっても朽ち果てるのですが、キリストの贖いにより朽ちない者にされているのです。
 しかしキリスト者が朽ちない者にされるためには、朽ち果てる者として生きてきた今までとは異なった道「新しく生まれた者」となる必要があります。キリスト者は、キリストと出会う前とは明らかに価値観が変わり、生活は180度変わるのです。
 この様な変化(新生)はキリスト者自身が自発的に行えるものではありません。主の御霊の働きが必要です。主が働かれる事により、私たちは理解しがたい真理を受け入れ、信じるものへと変えられ、神の国を求めた生活を求める者とされるのです(参照:ヨハネ3:1-21)。
 主の御霊の働きにより私たちが人間として生まれ持ったものが根本的に変化するからこそ、生活も変化するのです。死と地獄に向かう朽ちる種に育っていた者が、主の一方的な恵みにより、朽ちない種に植え替えられ、永遠の生命を持つ者へと接ぎ木されたのです。この朽ちる種から朽ちない種へ接ぎ木されることは、キリストと出会うことにより、初めて可能となります。その時、キリストの十字架により、罪の赦しが与えられるのです。そして、朽ちない種に接ぎ木されたキリスト者は、生きた言葉である神の御言葉を聞き続けることにより、主から永遠の生命にいたる栄養が与えられ、信仰が育まれていきます。

U.捕囚の民の唯一の希望:神の御言葉
 さてペトロは24節でイザヤ40:6-7を引用します。イザヤ書40章はイザヤ書において大きな分岐点を迎える章です。39章まではユダがこれからバビロン捕囚にいたる預言が語られているのですが、40章からはバビロン捕囚の時代について預言します。しかし預言者は、国が滅ぼされ、捕囚の民とされたイスラエルに対してなおも、神の約束を待つべきであると励まします。第一はバビロン捕囚からの救出ですが、預言者は同時に、キリストの十字架による、真の救いを指し示しているのです。当時のバビロンは、文化、富、武力において強大な国でした。しかし預言者は、強大な国であっても草に等しいと語るのです。栄枯盛衰があり、人間的に絶対的に見えても、主の御前には野の花の如く、滅び去るのです。
 一方、捕囚の民イスラエルは、人間的には非常にみじめであり弱く見えます。希望はありません。しかしイスラエルの民は、神の変わることのない生ける御言葉によって生かされます。キリストの十字架による救いが示されている御言葉にのみ真の救いがあるのです。事実、主は最後まで信仰を保ったイスラエルの民を、バビロンから解放して下さいました。
 私たちは、この朽ちることのない御言葉の希望が与えられているのです。

V.救いに与る者の歩み
 この救いの真理を私たちは聞き、受け入れ、信じているのです(22)。救いの真理を受け入れた者は、同時に魂が清められます。「魂」とは、「いのち、心」などにも訳されます。
 主によって創造された人間は、肉体と共に魂を持つことにより、霊的に神との豊かな交わりが与えられていたのです。しかし、人が罪を犯して以来、神との交わりは絶たれたのです。罪の刑罰は死であり、魂もまた死んでいたのです。しかし主の御言葉による救いの真理を私たちが受け入れる時、永遠の生命が与えられ、さらに魂が清められ、聖霊をとおして主との豊かな交わりが回復したのです。
 私たちと主なる神さまとの関係は一対一の垂直の関係です。しかし人間はこの神さまとの関係だけで生きていくことは出来ないのです。兄弟姉妹との交わり、つまり水平の関係も必要なのです。神さまとの縦の関係が回復し、命の水がそこに流れるようになることにより、隣人に対する愛情が生じてくるのです。神さまを信じるキリスト者は、神さまからの豊かな祝福が与えられており、それは金や銀のような朽ち果てるものではないのです。そうすれば、私たちは金や銀のような財宝、宝石、権力、権力を誇ったり、追い求めたりする必要が無くなり、永遠に変わることのない神の御言葉を追い求めていくことになるのです。朽ち果てぬ命をお与え下さる主は、地上における生活を送っている私たちに、必要なものはすべて備えて下さるからです。だからこそ主による救いに導かれている私たちは、人のものを奪い取ったり、だまし取ったりすることは無くなり、互いに分かち合い、愛し合うことが出来るものとされているのです。

                                     (2008.3.2)
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