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【礼拝説教】  「神は家のかなめ石」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙一2章6〜8節

  6 聖書にこう書いてあるからです。
  「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、
   シオンに置く。
   これを信じる者は、決して失望することはない。」
7 従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、
  「家を建てる者の捨てた石、
   これが隅の親石となった」
のであり、8 また、
  「つまずきの石、
   妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。




T.キリストの十字架による贖い
 イエス・キリストは、ユダヤ人たちにより捕らえられ、十字架の死を遂げられました。このキリストの十字架の死こそが私たち自身の罪の刑罰であり、キリストを信じる者はキリストの贖いにより罪が赦され、救いが与えられているのです。この事実をペトロは「あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました」(3)と語ります。信仰は、思弁に陥ってはならず、五感でその救いと恵みを感じ取るものでです。神の恵み、救い、神が共にいて下さることを私たちは体全体で感じ取るのです。私たち自身は神の御前に行い・言葉・心における罪を行ったのですが、キリストが私たちの罪を背負うて十字架にお架かり下さったのです。このキリストの十字架こそが、私たちが神の救いに入れられる時の神の家の要石です。キリストの十字架なしに、私たちの救いはあり得ないのです。
 ペトロは、このことが旧約聖書の御言葉の預言の成就であることを確認するのです(6、参照:イザヤ28:16)。シオンとは、旧約時代、都エルサレムを指しており、キリストの十字架を指し示していると語って良いでしょう。しかし同時に、シオンという語を終末的な次元で捉えることも必要です。救いが完成する時、地上の都エルサレムは過ぎ去り、神の国としての霊的なエルサレムの到来するのです。それがシオンです。従って「選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く」と語る時、キリストの十字架の御業は、神の国の礎となるのであり、神の民は神の国における平安であり盤石な生活が与えられるのです。
 だからこそ、キリスト者には失望はないのです。すでに神の国に据えられたキリストの礎に、キリスト者全てが漏れることなく招かれ、永遠の生命に与ることが出来るのです。ペトロは重ねて語ります(7)。「掛けがいのないもの」とは「尊いもの」(口語)で、「誉れ」(1:7)です。そしてこの言葉は、終末論的な意味合いがあるのです。つまり、私たちがキリストの十字架による救いを考える時、2000年前のキリストの御業を顧みるのですが、それは同時に終末論的に考えなければならないのです。2000年前に固着していても、私たち自身の信仰、救いとは結びつかないのです。信じる者には、誉れ、栄誉が約束されています。ペトロは1章で、各地に散らばっているキリスト者が、信仰の故に苦しんでいる様子を語っていました。しかし地上における朽ちる体に固着することなく、朽ちない体としての神の国を見据えなさいと、ペトロは彼らを励ましていたのです。そうすることにより、キリストによって与えられる神の国の永遠の生命が、私たちの生活を平安へと導くのです。

U.キリストを拒絶する者
 ペトロはさらに二つの旧約の預言を語ります(7,8:詩118:22、イザヤ8:14)。キリストを拒絶する者、それは最初ユダヤ人たちにおこります。キリストを逮捕し、十字架に架けた人たちです。本来、神の国の要石とされるべきキリストを彼らは受け入れなかったのです。要石となる石が外されるとどうなるのか?家は傾き、崩壊へと向かうのです。ユダヤ人はメシアを求めていました。しかし、彼らは要石であるキリストをいらない石として捨てたのです。そのため、彼らは崩壊していくのです。

V.消極的な二重予定
 8節では、ユダヤ人のことを「つまずきの石、妨げの岩」と語ります。彼らは要石を捨てだだけではなく、その捨てた石に躓くのです。しかしそのことは、そうなるように以前から定められているのです。つまり、予定と遺棄の問題となります。キリストを否定する者は、神さまによって遺棄に定められているから、キリストを否定するのではありません。キリストの神性を否定し、復活の奇跡を否定し、救いを求めないため、救いから漏れるのです。そのことを、主は永遠の予定の内に入れておられるのです。つまり、彼らは主の予定を知って自ら捨てられるべき行いをするのではなく、主のご計画は隠されており、彼らにも自由意志が与えられているのです。そして自らの意志において、キリストを拒絶するのです。キリストに躓く者たちは、罪の裁きを神の責任にすることは出来ないのです。
 一方、キリストの十字架の御業の故に、キリストを信じる者には、救いが与えられ、神の国シオンにおける永遠の生命が与えられています。地上における生活において、なおも様々な格闘があるかと思いますが、主がお与え下さる救いと神の国の永遠の生命を確信する時、感謝と喜びに満ちつつ、日々歩み続けていくことが出来るのではないでしょうか。


                                     (2008.3.23)
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