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【礼拝説教】  「神のしもべ」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙一2章16〜17節

  16 自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。17 すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。




 ペトロはキリスト者が「神のしもべ」であると語りつつ、一方で「自由」であると語ります。僕=奴隷と自由は、相反する言葉であるように思います。また、クリスチャン=神の僕であると、「その様な束縛されることは嫌だ」と言われる方もあるでしょう。
 しかしこうした意見は、私たち人間が生まれながらにしてどの様な存在であるか、またクリスチャンになって何が与えられたのかを忘れていることから出てくる言葉です。私たちは、神の子とされ、神の僕とされたからこそ真の自由が与えられているのです。

T.「罪の僕」から「神のしもべ」へ
 クリスチャンになるとは、何からの自由なのか? それは死からの解放・自由です。人間は、生まれてきた時に、すでに死に定められています。罪の奴隷状態に置かれているからです。だからこそ、イエス・キリストを除く者は例外なく、死ぬことを免れることが出来ないのです(参照:ウェストミンスター信仰告白9:3)。
 しかし、キリストと出会いクリスチャンとなることは、罪の支配から自由にされ(ロマ6章、ヨハネ8:31-36)、キリストの十字架により罪が償われた者として罪責から自由にされ(ガラ3:13、黙示1:5)、さらに自分の力で完全な義を功績を積み上げる不可能な義務からも自由にされているのです(ガラ5:1-14、使徒13:39、ロマ6:23)。
  「自由」(解放)の本質的な意味についてはイザヤ書61章で預言されていますが、主イエスが解き明かしておられます(ルカ4:18-19)。イエスは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と語られました。これは、旧約において語られた「自由」や「解放」が、主イエス御自身、つまりキリストの十字架によって与えられるものであることを語っているのです(参照:ウ信仰告白9:4、20:1)。
 ペトロが、自由な人として生活しなさいと語るのは、まさしく罪に定められていた者が、罪から解放されている者としての自由な生活をせよと語るのです。つまり、キリストの十字架が自らの罪の赦しであることを信じる時、罪の死から完全に解放されているのです。
 しかし「クリスチャンになることは、聖書に従って生活することであり、自由がなく窮屈である」と考える人が多くあるのも事実です。しかし、クリスチャンとしての生活において自由が奪われると考えることは、キリストの十字架によって与えられる死からの解放、罪からの解放を理解していないのです(ウ信仰告白20:3)。つまり、自由とは何を行っても良いことではありません。罪を犯さない上での自由です。罪から離れ、罪赦された者、神の子としての自由です。「死」から目を逸らせ、死の恐怖を忘れてはなりません。

U.自由な者の生き方
 @順序
 さてペトロは、キリスト者として隣人に接し方に関して語ります(17)。ここには4つ語られていますが、順番、それぞれの違いを確認しる必要があります。まず順番ですが、すべての人、兄弟(クリスチャン同士)、神、そして皇帝です。前3つと後者です。
 まずすべての人に対して敬うことが求められます。第五戒にあります「父母を敬え」と同じ言葉です。サマリア人の譬えにおいて、主イエスは、異邦人であろうと、苦しみ助けを求めている人に対しては、助けることを求めておられます(ルカ10:25-)。決して、異邦人・知らない人・嫌いな人であるからと言って、苦しんでいる人を見殺しにしてはならないのです。これがすべての人に対するキリスト者の姿です(参照:ウ小教理問64)。
 次に、キリストの枝としてのクリスチャン同士の関係は、愛するように命じています。聖徒の交わりです(参照:ウ信仰告白第26章)。
 次に神に対しては「畏れよ」と語ります。すべての人を敬い、兄弟を愛することは、水平な関係ですが、主なる神さまに対しては、上下関係です(参照:16節)。
 最後に皇帝についてです。世に立てられている為政者は、たとえクリスチャンたちを迫害しようとも、主が立てた権威者として、主の御言葉に反しない限り、従うべきであることを確認してきました(参照:13-15節)。しかし為政者は、自らをローマ皇帝の如くに神の位においてはならないのです。あくまでも人間の一人です。
 つまり、キリスト者となることは、キリストの十字架により死と罪から解放させられ自由にされた者として、徹底的に神の僕として生きることです。ここに神の子、人間としての真の喜びがあるのです。一方、為政者は無視してはならず敬わなければなりませんが、主に仕えるように無条件に隷属する相手ではありません。

                                     (2008.4.20)
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