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【礼拝説教】  「上に立つ長老へ」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙一5章1〜4節

  1 さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。2 あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。3 ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。4 そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。



T.ペトロ
 さてペトロは長老に語りかけるにあたり、「わたしは長老の一人として」と語ります。ペトロは、主イエスの苦難と復活の証人として、主イエスから直接、使徒として召されました。ですからここで「長老の一人」であると語るこの手紙の著者は使徒ペトロではなく、別のペトロだとも言われます。それは、手紙全体の文体が流ちょうなギリシャ語で記され、漁師であったペトロにはこれだけの文書が書けなかったのではないかとされるからです。
 しかし使徒の働きの一つに、「長老」もあるのです。このことは、教師(牧師)の働きとして監督、牧師、しもべ、長老、使者、伝道者、説教者、教師、神の奥義の管理者と呼ばれ(政治基準第43条)多彩であることと同様です。
 つまりペトロは使徒として上に立つことなく、主から召された一人のしもべとして、信仰歴の浅い兄弟姉妹に対して、いわゆる信仰の先輩から後輩に対して語っているのです。このことは「復活の証人」と語らずに、「キリストの受難の証人」と語ることにも現れています。これは彼が三度主イエスを否定した不信仰の証しとも言えます。しかしこの不信仰なペトロであっても、キリストは彼を使徒として召し、「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21:17)とお語りくださっているのです。ペトロは、立派な者だから語るのではなく、キリストの恵みによって自らが罪赦され、生かされている者として、語るのです。

U.長老の努め
 ではなぜペトロは長老たちに語りかけるのか。教会は、キリストを信じるが故に迫害を受けております。一人一人の信徒は信仰を守りとおすことで必死です。教会の存続の危機です。そうした中、信徒の信仰を守り、教会形成していくために、長老の働きは大です。
 ただここで言う「長老」とは、治める長老(治会長老)と共に、御言葉を語る長老である牧師も含まれています。長老の最も重要な努めは、「あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧」することです。「牧する」とは、毎日羊に食物を与え、牧場に集めて養い飼い、群れを監督して安全を守ることです(参照:詩編23編)。つまり長老の働きとは、すべての群れに気をつけることです。そのため長老とは、信仰的な経験が豊かであり、御言葉に立った分別があり、試練に耐えた信仰生活を送っている人でなければなりません。ですから長老は自ら進んで始めることではなく、キリストからの召し、教会員からの合意があって、初めて、長老となることが可能なのです。
 一方、キリスト者は大牧者なるキリストの羊であり、キリストの十字架の血により贖われ、キリストの御言葉によって養われています。キリストは今、天上にあってその働きをなして下さっています。長老は、キリストによってその任に就いているのです。民を養うのは、主による救いの確かさ(御言葉の解き明かし、純粋な教理、信仰告白)によってです。もちろん、霊的・信仰的なことばかりか、生活に問題がある時には、話しを聞き、共に祈り、必要な対処をすることさえ求められます。
 いわば長老は、教会における扇の要であり、御言葉により信徒を一つの思い、つまり神の国に導かれる希望を持つことができるように養う働きが求められているのです。

V.長老の原則
 その上で、ペトロは長老としての3つの原則を語ります。「強制されてではなく」、「卑しい利得のためにではなく」、「権威を振り回してもいけない」のです。
 @最近は、伝道の低調と共に、どこの教会においても長老・執事のなり手が少ないです。それは若い人たちが減っていることもありますが、同時に信仰の問題でもあります。牧師と異なり、長老や執事は、仕事を持っています。特に近年は労働条件が厳しく、多くの教会員が、教会の奉仕にまで時間と労力を十分割くことが出来ません。そのため会員総会において長老や執事に選出されても、辞退する人たちもあるのも事実です。
 しかし、主なる神様による本当の救いの喜びが与えられている時、苦しくとも教会の働きのために時間を割き、喜んで主の働きに仕えていくことが出来るのです。つまりキリストの十字架と、それに伴う祝福・希望と喜びの伴う信仰の問題です。つまり苦難の中にも、希望があるからこそ、苦難に耐え、主に仕えていくことが出来るのです。
 A報酬や見返りを求めないことです。地上の朽ち果てるものではなく、私たちは永遠に朽ち果てることのない祝福を主から頂いていることの理解が求められます(参照:1:3-4)。
 B人は役職が付くと、自らを誤解しがちです。これがローマ法王や韓国の教会の牧師・長老のように、社会的地位が確立されていればなおさらです。しかしペトロ自身、使徒として誇ることなく、自らの罪を顧み、悔い改めることにより模範を示しています。

W.まとめ
 ペトロがこのように語ることが出来たのは、キリストの約束の希望が揺るぎないからです(4)。主は、ペトロを愛し、罪を赦し、救いの希望に入れられたように、私たちも同じように愛し、罪を赦し、救いの希望に入れてくださっています。だからこそ、ペトロが、神に従い、自ら進んで奉仕し、献身的になり、群れの模範となり、長老たちに勧めているように、私たちも主の民として、主の求めに相応しい歩みを行っていきたいものです。

                                     (2008.7.6)
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