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【礼拝説教】  「若い人たちへ」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙一5章5〜7節

  5 同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、/「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。6 だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。7 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。



T.若い人たち
 今日の説教題は「若い人たちへ」です。正直、今日の説教をどのように語ろうか、非常に考えました。韓国では儒教の影響がまだ残っており年長者が敬われていますが、今の時代、日本では以前に比べて年長者を敬うことが非常にないがしろになっています。その原因として、学校教育、地域社会、社会全体の動向など様々なことが挙げられ、誤った個人主義により周囲を顧みない人々が増えているのです。
 しかし、ペトロは「若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身につけなさい」と語ります。これは、社会の状況は違えども、聖書の時代も現代と同様に、年長者を敬うことなく、自己中心の若い人たちが多くいたことを語っているのではないでしょうか。
 人は若い時、希望があり、可能性があります。そのため人生経験を積み上げてきた年長者の語る言葉よりも、自らの望みに向かって駆け出します。型破りの行動が出来るのも、若さの象徴です。マンネリ化、硬直化、腐敗が始まった社会には、そうした型破りな若い力が求められます。ですから無制限にとは言いませんが、私は若い人たち、子供たちが型破りな行動があっても、私は良いかと思います。
 しかし、無制限であってはなりません。そうした場合は社会の中に置かれた自らの立場を考慮する必要があります。そしてキリスト教会の場合、主によって救いが与えられたキリスト者として、主のお語りになる御言葉に聞き従うことを行った上で、新たな行動が求められていきます。ですから型破りであっても構わないわけですが、主の御言葉に従って、年長者に対しても理解を求めることが求められているのです。

U.主の御前に生きる
 ペトロが長老に従うよう求める時に念頭にあるのは十戒の第五戒「あなたの父と母を敬え」です。この第五戒の解説として、ウェストミンスター大教理問答問124は次のとおり語ります。「第五戒では、「父母」という語によって、ただ単に本来の両親だけでなく、すべて年齢と賜物において目上の人、特に、家族・教会・国家のいずれにおいてであれ、神の定めにより、わたしたちの上に、権威ある立場に置かれている人々、のことが言われています」。聖書は、人が、父母、年長者、そして長老に従うことを一貫して語ります。年長者の人生経験から語られる言葉には、裏付けがあり、そこに真理があるからです。また教会(神の国)の共同体において、一致を保つ必要があるからです。
 しかしどうしても人は、自己中心。傲慢になります。人の語る言葉に耳を傾けることが出来ません。これが私たちの姿です。日々の生活に私たちの信仰も表れます。キリストはこの世に遣わされ、地上での生涯律法を全うし、十字架を歩まれました。これにより私たちの罪は赦され、永遠の死、永遠の裁きを逃れるものとされました。ここに主に従う信仰が生じます。そして聖書を読み、御言葉には耳を傾けるが、人の話しは聞かない自分がここにいます。未熟な信仰がここにあります。
 主イエスは、金持ちの青年(マタイ19:16-22)が、律法に従いつつ、その信仰が歪んでおり自分よがり・自己中心的になっていることをご指摘し、隣人を愛するために「持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」(19:21)とお語りになりました。真に神の救いに与るキリスト者は、神に従うように隣人と痛みを共有し、それと同時に耳を傾けるのです。
 クリスチャンに対する様々な誘惑がある中、主は、主の御言葉に聞き従うように、長老たちに従うように求めます。ペトロは長老に対しては、「神に従って、自ら進んで世話をしなさい」、「卑しい利得のためではなく献身的にしなさい」、「権威をひり回さず、群れの模範になりなさい」と語りました。ですからペトロが「若い人たち、長老に従いなさい」と語る時、長老たち・年長者たちが、群れの模範となり、教会の形成のために主に仕えていることを前提として語っているのであり、若い人たちに対して語りかけるペトロの言葉の裏側には、年長者たちが、さらに主に仕えることを求めているのです。
 その一方、若い者は、謙遜さを持ち、自分を低くすることが求められます。水は高いところから低いところにしか流れないように、神の御前に立つ時、人の前に立つ時、自らを低くし謙虚にならなければ、決して神の御言葉も、人の話も聞くことなど出来ないのです。
 ペトロは一言付け加えています。「神の力強い御手の下で」。つまり、私たちが日々の生活の中にあって、傲慢になり、人の話しが聞けない時、実は、神の御手の外、神を忘れて生きていると語っているのです。ウェストミンスター小教理問答問1では「人間の第一の目的は、神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとすることです」と語ります(参照:Tコリ10:31「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」)。つまり、私たちは、常に主なる神様を覚え、生かされ、救われていることの感謝と喜びを持つことが求められています。そうすれば、救い主である主の御言葉に聞き続けることが出来、さらに主によって遣わされた長老・年長者の声にも耳を傾けることが出来るのです。神を愛する者は、隣人をも愛することが出来るからです。

V.すべてを神に委ねて生きる
 常に主なる神様が共にいて下さるのであるから、いつでもどこでも、主なる神様に祈り求めることが出来るのです。だからこそペトロは「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい」と語ります。私たちを生かし、救いに導いて下さった主なる神様は、いつも心にかけて下さっています。天において執り成しの祈りを行い続けて下さっています。


                                     (2008.7.13)
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