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【礼拝説教】  「世に潜む悪魔」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙一5章5〜7節

  8 身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。9 信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。10 しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。11 力が世々限りなく神にありますように、アーメン。




T.悪魔の企て
 今年になり、振込詐欺がまた増加しています。日々、巧妙になり、気をつけていても騙される人たちが後を絶ちません。そのため私たちは予防するのです。このように騙され経済的な損失を負うことは、私たちの生活にとっては非常に大きな痛手であるからです。
 しかし私たちは、同様に信仰に対する誘惑への予防措置をとっているでしょうか?悪魔はキリスト者を日々狙っています(8)。詐欺の被害は私たちの生活を変え、殺人では私たちの命の問題となります。悪魔による攻撃は、そのいずれもに関わることであり、またさらに私たちの人生、私たちの命そのものに関わる事柄でもあります。
 だからこそ、ペトロは「身を慎んで目を覚ましていなさい」と語ります。ペトロ自身が主イエスから語られた言葉でもあります。主イエスは十字架に架けられる前の夜、ゲツセマネにおいて祈られる時、ペトロら三人を連れ行かれました(マタイ26章)。主イエスが祈っている間に、弟子たちは肉体の弱さの故に眠ります。その時、主イエスは「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」(38)、「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(40-41)とお語りになりました。この主イエスの言葉は、ペトロら弟子たちの肉体の弱さと共に、霊的・信仰的な弱さを指摘します。ペトロはこの直前、主イエスに対して「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまづきません」(26:33)と語っていたのですが、ペトロは主イエスが逮捕されてから、三度「イエスを知らない」と語り罪を犯したのです。つまりペトロが「目を覚ましていなさい」と語る時、自らの失敗を心に秘めつつ、語っているのです。そして神様を信じて、すべてを神様に委ねているからと言って、目を覚ましていることにはならないのです。私たちも神様を信じているからと安心していてはなりません。何も考えない無為、怠慢になってはなりません。むしろ社会に対して、どこに罠が仕込まれ、どこに罪が潜んでいるか、私たちはしっかり目を光らせておく必要があります。

U.信仰の武具を身につける
 しかし悪魔は、様々な方法で私たちを主なる神様から切り離そうと狙っています。それは直接的な迫害ばかりでなく、試練をとおし信仰から離れさせようとします。あるいは、真の救いに代わる楽しみに目がくらみ、信仰から離れさせます。サタンは、私たち人間の欲望、快楽に訴えます。そのためペトロは「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい」と語ります。パウロの言葉を用いれば、「神の武具を身に着け」ることです(エフェソ6:10-18)。つまりペトロが「目を覚ましていなさい」と語る時、私たちは、神様を信じ、神様に全面的に信頼することが求められているのです。ペトロの失敗も「自分は大丈夫だ」、「信仰を貫き通す自身がある」と思っていた所に落とし穴があったのです。
 私たちは主イエス・キリストによる救いを信じています。私たちは一人ではありません。主が私たちと共にいて下さいます。そして主は私たちに御言葉をお語りくださいます。だからこそ、私たちは、主に委ね主を信じ続けようとする時、主の御前に立ち、主の御声に聞かなければなりません。私たちが振込詐欺に対して、知識を身に着け、日頃から注意しているからこそ被害に遭わなくて済むのであり、それと同様に、私たちを救いに導き、神の民としてサタンの誘惑から逃れるすべを主は御言葉を通して私たちにお教え下さっています。だからこそ私たちは、主の御言葉に聞きつつ、日々の出来事一つ一つにサタンの誘惑・罪への誘いでないかを警戒することにより、信仰から離れることから守られるのです。
 一方、はサタンからの誘惑に遭い、苦しみの中にある時、「なぜ自分だけがこのように苦しまなければならないのか」と思います。被害妄想、悲劇のヒーロー・ヒロインと化しますす。しかし、大なり小なり、主によって選ばれた信仰者は、悪魔による誘惑に陥るのです(9)。神様を信じる故に苦しみを覚えることは、神の民であるキリスト者が背負わなければならない十字架なのです。

V.永遠の希望
 私たちは、十字架なんか背負えない・背負いたくないと思います。しかし私たちは、主がお与え下さった救いの恵み、永遠の生命の恵みを忘れてはならないのです(5:10〜11)。
 ペトロは「あらゆる恵みの源である神」と語ります。私たちの生活に必要として与えられている恵み、目に見えない救いの平安、喜び、将来的な希望は、すべて主によって与えられ、備えられています。この方がサタンに誘惑することもお許しになっているのであり(参照:ヨブ1章、2章)、主はこの世における苦しみが神の子として相応しい者となるための信仰の養いとして下さるのです。これが私たちに強いられた十字架であり、試練です。私たちは、主のお許しがなければ、何一つ恵みも祝福も得ることは出来ないのです。
 主は、神を信じる私たちを永遠の栄光へと招いて下さいます。地上の苦しみを超えた所にある栄光であり、地上の苦しみは過ぎ去るのです。キリストが十字架で罪に対して勝利を遂げて下さったからです。キリストによる勝利が与えられているからこそ、永遠の希望を持って、日々、信仰生活を送り続けることが出来るのです。だからこそ私たちは、霊的に目を覚まし、主により頼みつつ、永遠の希望を持ち続けて歩み続けていきたいものです。


                                     (2008.7.20)
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