【礼拝説教】  「教会の奉仕者」  辻 幸宏牧師



  ローマ信徒への手紙16章1〜2節(新共同訳聖書)

16:1 ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。
16:2 どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの
   助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわた
   しの援助者です。

 パウロは、15章13節までで本文を書き終え、15:14以降でパウロの個人的な希望などを述べてきました。そして16章に入りますと、個人的なあいさつを述べ始めます。
 1節で「ケンクレアイの教会の奉仕者でもある〜フェベを紹介します」と記されています。しかし口語訳聖書によりますと、「ケンクレヤにある教会の執事〜」と、「奉仕者」を「執事」と訳しています。これは、ディアコノスというギリシャ語が、本来は「奉仕、奉仕する者」の意味であり、「奉仕者」と訳すことが出来るのですが、「ケンクレアイ教会のディアコノス」と言えば、教会における職務として「執事」と訳した方が良いのです。
 教会では牧師・長老・執事が立てられる必要があります。教会規定では、第40条(恒常的三職)「教会の政治の全体は、教理・教会統治・愛の業の三つから成っている。キリストは御自身の教会を整えるために、新約時代には、教会に三職を授けられた。すなわち、御言葉と礼典をつかさどる教師の職務・治会長老の職務、及び執事の職務である。これらは教会において恒常的に継続されるべき通常の職務である。」とあります。つまり主は、御言葉である聖書をお与え下さり、そして聖書に仕えることにより、神様に仕える者として、職務の異なる三つの働きである教師・長老・執事をお立て下さったのです。誤解されては困るのは、牧師が一番であり、長老が二番、執事は三番、それらの役職に就いていないのはその下、と職務を序列で考えることです。教理・教会統治・愛の業は、異なった働きであり、与えられた賜物が異なるのです。それぞれの働きが、主によって呼びかけられた者が立てられていくのです。だからこそ、それらの職務に就く人たちは、素晴らしい人だから、尊敬されなければならないのではありません。主によって立てられ、主によって召された者として、それに相応しく敬われなければならないのです(2節参照)。
 ところで大垣伝道所は教会設立しておりませんので、長老・執事は立てられておらず、委員がいるだけです。伝道所が教会設立に向けて歩み始めようとする時、教会において、長老・執事が立てられることが重要です。聖書は次のように語ります。「彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。」(2節後半)「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」(使徒6:2-4)。他にも聖書の執事の働きへの言及がありますが省き、教会規定に簡潔にまとめられていますので、教会規定から確認します。
 第56条(執事の職務)「執事の職務は、聖書によれは、主イエス・キリストの模範に依って、愛と奉仕の業を
     行い、聖徒の交わりを特に相互の助け合いにおいて具現するものである。」
 第57条(執事の資格)「この職務を担当する者は、霊的品性を持ち、模範となる生活を送り、家をよく治め、
     よい名声を持ち、あたたかい同情心と健全な判断力を持つ者でなければならない。」
 第58条(執事の任務)「執事の任務は、次のとおりある。
  1.貧困・病気・孤独・失意の中にある者を、御言葉とふさわしい助けをもって励ますこと。
  2.献金の祝福を教会員に勧め、教会活動の維持発展のため及び愛の業のためにささげられたものを
   管理し、その目的にふさわしく分配すること。
  3.教会会計及び教会財産の維持・管理を小会の監督の下に行うこと。ただし、財政上の重要事項は、会員
   総会の議を経て行わなければならない。
  4.個々のキリスト信者が愛の律法によって果たすべき一切の義務を、特に執事として果たすこと。
  5.教会員と共に、また教会員のために祈ること。
  6.牧会的配慮を要する事柄を、牧師に知らせること。
  7.伝道すること。
  8.諸集会のために配慮すること。
  9.教会内外の執事的必要を調査し、教会員に訴えること。」
 パウロはフェベがこうした執事としての働きに忠実であったことを証しします。しかし執事の働きは一教会に留まりません。パウロはフェベがローマに行くため、様々な不自由があるであろうから、助けてくれるように頼みます(2)。一教会を超えた働きが求められます。
 またパウロが、アジアの諸教会において集められた献金を持ってエルサレム教会に赴くこと、フェベがパウロの代理人として手紙を届けることも、キリストの愛から発出した執事的働きです。つまり、教会において執事が立てられなければ執事としての働きを行うことが出来るのではなく、教会に集う者一人一人が、キリストによる救いが与えられた喜びを持って、主に仕え、教会内において、そして他の教会において、さらには教会の外の人々に対して、配慮し、気をつかうことにより、愛の業を果たしていくことが出来るのです。だからこそ伝道所に執事が立てられることを祈りつつ、私たち自身がキリストの愛に基づく愛の業を行うが出来るよう、御言葉に聞き続けましょう。

                                              (2004.8.29)



戻る