【礼拝説教】  「従順に主に従う」  辻 幸宏牧師



  ローマ信徒への手紙16章17〜23節(新共同訳聖書)

16:17 兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをも
    たらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。
16:18 こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、
    うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです。
16:19 あなたがたの従順は皆に知られています。だから、わたしはあなたがたのことを喜んでいます。
    なおその上、善にさとく、悪には疎くあることを望みます。
16:20 平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたし
    たちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。
16:21 わたしの協力者テモテ、また同胞のルキオ、ヤソン、ソシパトロがあなたがたによろしくと言って
    います。
16:22 この手紙を筆記したわたしテルティオが、キリストに結ばれている者として、あなたがたに挨拶
    いたします。
16:23 わたしとこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオが、よろしくとのことです。市の
    経理係エラストと兄弟のクアルトが、よろしくと言っています。


 今日、S兄姉ご夫妻の転入式を行うことがゆるされ、私たちの教会にとって大きな喜びです。ところで転入式で、(小会において)「信仰と生活について慎重に試問した」と語りました。もちろん私たちは、群れに加わって下さろうとしている方を喜んで受け入れたいです。しかし無条件に受け入れることは出来ないのです。それは、教会の中には、純粋に神様を求め、礼拝する者たちだけではなく、神様を信じる人たちに対して、躓きや混乱を招こうと、教会に潜み込む人たちもいるからです。
 中会の教師会で報告されたことですが、中国のある教会の礼拝に出席された時、政府の公安の人たちが出席していたとのことです。こうしたことは、戦時中の日本の多くの教会でもなされていたことで、思想統制や教会弾圧へと繋がることです。しかしキリスト教会に対するサタンによる攻撃は、上述のことは一例に過ぎず様々な方法で行われます。カルヴァンは、ローマ書注解において、教会で混乱をたくらむのには二つあると語ります。
 第一は、教会に別の教えを潜入させ、教会の中で分裂を引き起こすことです。つまり、キリスト者が自分の信仰を確立していなければ、サタンは巧みに私たちの信仰を揺さぶり、誤った別の信仰を作り出すように働きます。キリスト教会は、当初から様々なサタンからの攻撃を受け、信仰の戦いを行ってきていたのです(17)。そのため、教会は聖書に立った自分たちの信仰の立場を確立し、信仰告白を告白してきたのです。三位一体・二性一人格は、まさしく教会の中に混入した異端を排除するために、教会が告白してきた教理であり、新約の教会の上に立つ私たちは、使徒信条と共に、ニケア信条、カルケドン信条といったこれらの教理を告白する信条を持ち続けているのです。だからこそ、私たちは、三位一体を否定する統一協会やエホバの証人は、正統的なキリスト教会ではないと言えるのです。
 キリスト者の中に、「聖書だけを信じるのだから、信仰告白はいらない」と言われる方がおられます。しかし信条を持たなければ、個人個人が聖書を解釈し、その解釈によって教会が建つことになり、牧師が代われば教会の信仰も変わってしまいます。そこに罪が混入してきます。だからこそ教会は、個人的な誤った解釈や罪、極端な解釈の混入を防ぐため、信仰告白を作成し、罪が混入したり、分裂したりすることを避ける努力を行うのです。
 またカルヴァンは、教会に不和や躓きがもたらされる二つ目の道は、福音の愛から背かせ躓かせることにあると語ります。つまり、信仰の価値を失わせようとすることや、教会に集う兄弟姉妹を見て躓いて、教会から離れるケースです。
 パウロはこうしたサタンの働きに荷担する者を、「わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている」(18)と語ります。教会で、分裂を起こさせ、教会から人が離れるように願う人々は、自分自身の欲望のまま、自己実現のために生き、キリスト者を躓かせようと働くのです。そういった人々を警戒しなさいと、パウロは語ります。
 ではどの様にすれば、私たちは信仰を保つことが出来るのでしょうか。従順に主に仕えることです(19)。そして何が主なる神様の御心に適う善であり、何が肉的な欲望から来ている罪なことであるかを、適切に判断することです。そのための判断基準は、聖書でありその聖書の解釈の規準を、教会で告白しています信仰規準に求めることが出来るのです。
 私たちの教会の信仰規準はウェストミンスター信仰規準ですが、特に大教理問答、特に十戒の部分には、神様が求めておられる要求と、してはならない罪とが、事細かに示されています。このことに関して、律法主義であるとの批判が強いのですが、善悪の規準がこれだけはっきりと示されることにより、自分たちの罪深さが示され、ただキリストの十字架による罪の赦しがなければ、救われないことが示されるのです。そしてさらに、善悪の規準がはっきりとしているため、様々なサタンの攻撃から自らの信仰を守ることが出来るのです。つまりこうした信仰告白が、神の武具、信仰の盾(エフェソ書6章)となるのです。
 しかし私たちは弱く、自分の力ではサタンに太刀打ち出来ません。しかし十字架によって私たちに救いをもたらして下さった主イエスは、今神の御国におられ、聖霊を通して、私たちと共にいて下さいます。そして主イエスは、再臨の時、サタンを滅ぼし、神様を信じて信仰の戦いをした私たちを主の御前、神の国に導いて下さいます。だからこそ私たちは、信仰が揺さぶられることがないよう、信仰告白に立った信仰を確立していきましょう。

                                              (2004.9.12)



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