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【礼拝説教】  「すばらしい約束」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙二1章5〜8節
 1:5 だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、7 信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。8 これらのものが備わり、ますます豊かになるならば、あなたがたは怠惰で実を結ばない者とはならず、わたしたちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう。


T.序
 今、教会では信仰の継承が問題とされています。問題は、契約の子供たちが教会から離れること、教会の世俗化です。つまり、信仰を告白し教会には来ているキリスト者であっても、真のキリスト者としての歩みをしていない人たちがいるのです。それは、信仰が形式化しており、聖書の知識を持ちつつも、中身が伴わないキリスト者となっているのです。新約の教会も、同様の問題が起こっていました(3〜4節)。真のキリスト者に必要なことは、@真の生きて働く主なる神さまに出会うこと、A主によって与えられる罪の赦しと永遠の生命の喜びに満たされること、です。

U.信仰によってもたらされるもの
 続けてペトロは真の信仰者の姿が8つ挙げます。
 @最初は「信仰」です。真の信仰者とは、主による救いに予定され、聖霊による召し、与えられた御言葉により救いが示されて、信仰を告白する者へと押し出されます。すると、キリストの十字架により罪が赦され・永遠の生命が与えられた者として、地上での生活にあっても、罪と対峙し、主の御言葉に聞き従う者として、生活に変化をもたします。しかし信仰者でも、罪の中に生きていた時と変化なく生活している人は、真の救い主と出会っていないか、もしくは救い主によって与えられた祝福の喜びに生きていないのです。
 A徳:神の栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています(4節)。つまりキリスト者はキリストに倣った生活を行う者へと押し出されるのです。これは権力・武力・財力といった世の罪の生活との決裂であり、キリストの主権の下に神の僕として生きることです。
 B知識:知識とは、神の御言葉を蓄えることと同時に、御言葉に従って生きることです。知識を蓄えながら、生活が伴わないのはキリスト者の姿ではありません。
 C自制(節制):人は知識を持てば、権力・地位・誉れを求めます。しかし主の僕とされたキリスト者は、自らの内に備えられたものが、すべて主から与えられた賜物として、感謝し、主の働きのために用います。従って、知識を誇ることはなく、謙虚に人に仕えます。
 D忍耐:私たちには、キリストによる忍耐の模範が示されています。キリストが十字架の苦しみにより、サタン・罪・死に対する勝利が与えられました。それは同時に滅び行くこの世に留まる者としてではなく、永遠の生命が与えられた者としての勝利でした。だからこそ、私たちも滅び行くこの世に縛られることなく、この世にあっては忍耐が強いられることとなっても、主によって与えられる神の御国を見据えた歩みを行います。
 E信心(敬虔・信仰深さ):これは主イエスによって永遠の生命と共に与えられています(3節)。そして同時に、すでに救いにあるキリスト者として、日々御言葉と聖霊の養いにより、心がけていかなければならないものです。
 F兄弟愛・愛:「兄弟愛」はフィラデルフィア、神の民相互の愛です。「愛」はアガペーです。キリストの十字架こそが、全ての罪の赦しに与る神の民に対する愛の表れです。キリスト者とされた私たちも、愛されている者として、兄弟姉妹に対する愛、そして全ての隣人に対する愛を持つ者へと、変えられていくのです。

V.愛の実践
 先週、信州夏期宣教講座に出席しました。「戦争と教会〜教会は何をするか〜」で平和論であり、「義戦論・聖戦論」が成り立つか、「合法的戦争」はあり得るかが問われました。この講座は、キリスト教の歴史を検証しつつ、私たちに求められている信仰を問います。
 313年に正式にキリスト教がローマの国教となるまで、皇帝を神とするローマの兵士になることが偶像であるとして、キリスト者は兵士になることはなく、結果として戦争を行うことはありませんでした。しかし、皇帝がキリスト者となりキリスト教が国教となってからは、その障壁もなくなり、キリスト者もローマの兵士として、戦争に出向くようになります。この時以降「義戦論」・「合法的戦争」が語られるようになります。
 ウェストミンスター信仰告白においても「合法的戦争」は認められる立場にあり、改革派教会もこの立場の上に立っていますが、非常に限定されなければなりません。ボン・ヘッファーは、ヒットラー政権下のドイツにあって、最終的にヒットラーに捕らえられ、処刑されますが、彼はヒットラーのユダヤ人政策のため、最後まで悩み、ヒットラー暗殺を企てます。このことが主の御前に合法的か、非常に悩むのです。
 これらの背景にあるのは、「あなたの隣人とは誰か」、そして「あなたは隣人を愛しているか」と言う問です。真のキリスト者として、主による信仰が与えられる者は、兄弟愛、民族愛に留まることなく、敵をも愛し、和解を求めるのです(参照:1コリント13:1〜7)。


                                     (2008.8.31)
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