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【礼拝説教】  「正しくない者たち」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙二2章4〜9節

 4 神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。5 また、神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。6 また、神はソドムとゴモラの町を灰にし、滅ぼし尽くして罰し、それから後の不信心な者たちへの見せしめとなさいました。7 しかし神は、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされていた正しい人ロトを、助け出されました。8 なぜなら、この正しい人は、彼らの中で生活していたとき、毎日よこしまな行為を見聞きして正しい心を痛めていたからです。9 主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。



序.
 キリスト者はキリストの十字架による救いに導かれながらも、日々の生活においても様々な困難があります。その中に迫害や教会を否定するような人々がいるのであり、彼らについて聖書は語ります。しかし私たちが忘れてはならないことは、私たちは今「仮の宿」に住んでいるのであり(1:13)、「本陣」としての神の国の祝福があることです。

T.主の裁き:天使
 そして今日の御言葉では、最後の審判において、主に逆らい続けた者がどのようになるか、旧約聖書の3つの例によって語ります。
 @第一は天使についてです。「天使」とは、通常「神の子ら」(創世記6:1-7)と言われています。しかし、私たちは天使の理解が足らないかと思います。そのためウェストミンスター大教理問答において確認したします(問16、19)。
 問16 神は、どのようにみ使を創造されたか。
 答 神は、すべてのみ使を、死ぬことなく、きよく、知識においてすぐれ、力において強い、霊として、神の命令を実行し、み名を賛美し、しかも変化しうるように、造られた。
 問19 み使に対する神の摂理とは何であるか。
 答 神はその摂理によって、ご自身の栄光のために、あるみ使らが自ら好んで、回復できないほどに罪と滅びに陥ることを許し、そのことと彼らのすべての罪を限定し、配置された。また、残りのみ使らを聖潔と幸福とに確立された。そして、み心のままに、彼らすべてを、神の力、あわれみ、正義を行なうのに用いられる。
 創世記6章では天使の裁きについて言及がありませんが、ペトロは天使の裁きに言及します(4)。なおさらのこと、人間は主の裁きから逃れることなど出来ないのです。

U.主の裁き:すべての人(ノアの洪水)
 A次にノアの時代の洪水です。主が人を造られたことを後悔する位、罪が世に満ちていたのです。そして洪水によって、ノアとノアの家族総勢8名が保護されただけで、主は全てを水に飲み込まれます。主の裁きには、容赦はありません。では、聖書の語る神は無情の恐ろしい神なのか? 私たちは、主なる神さまと私たち人間との関係を知らなければなりません。人間が主であり、神さまが従ではありません。主が天地万物を創造されたのであり、私たちは神の被造物です。造られた者が、造って下さったお方に物申す資格はありません。また私たちは、義・聖・真実なる主の御前に立つ時、行い・言葉・心において、主のご命令になられている律法に何一つ満足な行いは出来ないのです。これが罪であり、主の一方的な救いがなければ、私たち人間は主の裁きから逃れることは出来ないのです。
 しかし今の時代、ノアの洪水のような全面的な主の裁きはありません。それは、当時よりも今の方がまだマシだからではありません。主の約束の故です(創世記9:11)。そのため、主は、最後の一人の者が救われるまで、裁きを猶予して下さっているのに過ぎないのです。神の愛、神の忍耐を、私たちは忘れてはなりません。
 主はノアと家族8人を助けます。彼らも罪人でした。彼らは主の一方的な招きの言葉に耳を傾け、箱船を造ったからです。このことを主は「義」と認め、善き業として受け入れて下さいました。(参照:ウェストミンスター信仰告白16章)。この世において人々に賞賛される立派な行為が「善き業」ではなく、むしろ、未熟、不完全かも知れませんが、主を信じ、主の御言葉に聞き従う行いこそが、「善き業」です。信仰抜きに行われる立派な行いは行うにこしたことはないのですが、主の御前に受け入れられません。
 ですから、全ての民は主の御前に罪人であり、誰一人、主の裁きから逃れることは出来ないのですが、一方、主なる神さまを信じ、主の御言葉に聞き従うことによって、主に受け入れられ、義と認められ、主の裁きから逃れることが出来る者とされるのです。

V.主の裁き:全面的に(ソドムとゴモラの裁き)
 B最後はソドムとゴモラの裁きです(創世記19章)。この裁きは旧約を代表する裁きとして、新約でも度々取り上げられます(マタ10:15、11:23-24、ルカ10:12、17:29、ロマ9:29、二ペテ2:6、ユダ7、黙11:8)。この裁きが、黙示録に描かれている終末の世界と重なるからです。しかしこの裁きは非常に限定的な二つの町だけの裁きでした。第二次世界大戦では全世界に戦禍が広がりましたが、まだ部分的でした。終末においては全世界の1/3が焼けます(黙示録8〜9章)。そして最後の審判では、全世界の人々が誰一人逃れることは出来ません。主の義が貫かれるためです。主は罪を見逃すことの出来るお方ではないからです。そのため、主に逆らう者、主に敵対する者、主の御言葉を無視する者、キリスト者を攻撃・迫害する者は、全て自らの罪の故に、主の裁きによって滅ぼされます。
 しかし主によって主の御前に集められ、主を信じ、主の御言葉に聞き従う者には、イエス・キリストの十字架の御業による罪の赦しと永遠の生命が約束されています。だからこそキリスト者は、地上の生涯にあって、様々な困難、試練、迫害があったとしても、主が共にいて下さり、守り、養い、導いて下さいます。そして、キリストの十字架の御業の故に、私たち自身の罪が償われ、義と認められ、神の子として、神の国に迎え入れられるのです。私たちの持つ希望と喜びは、まさに主による救いの御業にこそあります。

                                     (2008.10.19)
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