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【礼拝説教】  「神の時間」  辻 幸宏牧師

ペトロの手紙二3章3〜9節

  3 まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、4 こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」5 彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしないからです。すなわち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によってできたのですが、6 当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。7 しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。
  8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。




T.物事を考える視点
 「木を見て、森を見ない」という諺があります。一つの事件や出来事に対しても、そのものだけを見ていても理解できない事柄が、時間的流れ・周辺的な事柄など全体を見渡すことにより理解できるのです。信仰も同じです。自分の思いで聖書を読み、主なる神さまを信じると、信仰は主観的になる恐れがあります。神さまを信じることが平安だから、喜びだからと思います。しかしその感情が薄くなっていきますと、信仰もなくなり、神さまから離れていくのです。その時の主体は、自分の思いであり、神さまは信仰の対象にしか過ぎないのであり、別の神さまがその位置に座することも容易に起こってくるのです。
 従って信仰を考える時、視点を高い位置(神さまの位置)に置き、神さまは私という人間をどのように思われ、どこに導いて下さろうとしているのかを考えなければなりません。空間的には、大垣教会という一点を見るのではなく、全世界規模に主の救いの御業を見るのです。また時間的には、今の時、一週間、一年という時間ではなく、主の天地創造から旧約の歴史、キリストの御業、新約の歴史、終末、神の国の完成を全て見渡した上で、私という人間の位置を確認しなければなりません。

U.裁きを待っておられる神
 ペトロは欲望の赴くままに生活している人について語ります。彼は目にしたこと、耳にしたこと単純に判断し行動し言葉を発します。彼は、自分に都合が悪ければ不平不満を語ります。彼の発言は常に自分の今の感情です。周囲の人々・物事全体を見渡すことが出来ません。彼は聖書の言葉を部分的にしか知らず、聖書から歴史の検証を行いません。
 そのことに対してペトロは反論します(5b-6)。ペトロは天地創造から語り初め、続けてノアの時代の洪水について言及します。主は、全世界を裁く力を有しておられ、また世界を裁く権能も持っておられます。現代の多くの人々が神さまの存在を否定していますが、そのことが誤りであることを聖書は語ります。
 また、ノアの時代の洪水の後、主なる神さまはノアと家族に約束をしました(創世記9:9〜11)「・・わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」つまり、主は、世が罪に充ち、主に逆らい続けていても、ノアの洪水のように全世界を滅ぼされることは、最後の審判の時まで忍耐しつつ、猶予して下さっているのです。
 その後も人々は罪を繰り返しますが、主は人々が神の約束を理解するために、繰り返し神の民や預言者を与え人々に悔い改めを迫ります。そのため現在の私たちには旧・新約聖書の御言葉が与えられています。さらに主は支配しておられる自然を通して、つまり時には戦争や自然災害という形において、人々に過ちを示され、悔い改めを求められるのです。
 私たちは自分の困難を、神さまや周囲の人々に不平不満を語る前に、主が忍耐しておられ、私たちが主に立ち帰り、主の御言葉に聞き従う時を待っておられる主の愛を知らなければなりません。義・聖・真実であられる主に取って、人々が主から離れ、罪に生きていることが耐え難いことです。神が救いに予定している最後の民が主の御前に集められる時まで、主は裁きの時を待っておられます。この主の愛を私たちは忘れてはなりません。
 従って、最後の神の民が神の御前に集められ、キリストが再臨される時、最後の審判は始まります。神の民は、主によって神の国に招き入れられますが、自らの思いのままに生きてきた全ての人たちは、主の裁きに遭います。この裁きに例外はありません。

V.神の時間に生きること
 このように神の救いの御業を高い位置から考えていきますと、神さまにとって神の子とされている私たちの生命がどれだけ愛おしく、私たちの救いが神の喜びであるかを知ることが出来ます。私たちは、地上の生涯が非常に長く感じ、また今の苦しみからすぐにでも逃げ出したいと思います。しかし主の歴史は創造から今の時まであり、さらに続きます。そして主はアダムとエバが罪を犯して以来、ノアの時代に全てを滅ぼされますが、それ以後、裁きを猶予して待っておられるのです。そしてその間に、主イエス・キリストをこの世にお遣わしになり、神がお選びになられた全ての神の子の救いを成し遂げて下さったのです。そして今なお、神は、全ての神の子が、神の御前に集められる日をお待ちになっています。このことを覚える時、私たちの人生はどれほどのものでしょうか。わずかな時間に過ぎません。主はそれに勝る神の国における祝福を私たちに約束して下さっています。
 このことを理解する時、私たちは、今一時の苦しみを乗り越えることが出来るのではないでしょうか。主は私たちを救うために、この盛大な主の御業を成し遂げようとして下さっています。そして主を信じる私たちは、主の祝福の内に、神の国が約束されています。主の救いの御業に感謝と喜びを持って、この一週間も歩み続けていこうではありませんか。

                                 (2008.11.23)
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