【申命記続講解説教】  辻 幸宏牧師

「主の語る聖戦」  申命記3章1~11節



申命記3章1~11節

  3:1 我々は転じてバシャンに至る道を上って行くと、バシャンの王オグは全軍を率いて出撃し、エドレイで我々を迎え撃とうとした。
3:2 主はわたしに言われた。「彼を恐れてはならない。わたしは彼とその全軍、その国をあなたの手に渡した。ヘシュボンに住むアモリ人の王シホンにしたように、彼にも行いなさい。」
3:3 我々の神、主はバシャンの王オグをはじめ、その全軍を我々の手に渡されたので、我々はオグを撃ち殺し、ついに一人も残さなかった。
3:4 そのとき、彼のすべての町を占領し、我々が奪わなかった町は一つもなかった。奪ったのはバシャンにあるオグの王国、アルゴブ全域の六十の町であった。
3:5 これらはすべて高い城壁で囲まれ、かんぬきで門を固めた要害の町であるが、このほかに城壁のない村落がたくさんあった。
3:6 我々はヘシュボンの王シホンにしたように、彼らを滅ぼし尽くし、町全体、男も女も子供も滅ぼし尽くしたが、
3:7 家畜と町から分捕った物はすべて自分たちの略奪品とした。
3:8 我々はそのとき、アルノン川からヘルモン山に至るヨルダン川東岸の二人のアモリ人の王の領土を手中に収めた。――
3:9 ヘルモン山のことをシドンの住民はシルヨンと呼び、アモリ人はセニルと呼んでいる。――
3:10 それは台地にあるすべての町、ギレアド全域、バシャンの王オグが治める町々、サルカからエドレイに至るバシャン全域を含んでいる。――
3:11 バシャンの王オグは、レファイム人の唯一の生き残りであった。彼の棺は鉄で作られており、アンモンの人々のラバに保存されているが、基準のアンマで長さ九アンマ、幅四アンマもあった。――




Ⅰ.神の裁きを畏れよ
 聖戦・聖絶と語ると、ノン・クリスチャンから、「キリスト教の神は冷たい、恐ろしい」という声があがります。神さまがなぜ滅ぼされるのかは、前回確認しました。ヘシュボンの王シホン、さらにエジプトの王ファラオたちの持っていた罪は、「頑なさ」でした。神さまは正しいことを貫く方であり、どのような小さな罪をも赦すことの出来ないお方です。しかし罪を一つ犯しただけで、即、滅ぼされることを神さまはありません。神さまは全てをご覧になられています。またこれからのことも全てご存じです。一人の人が罪を犯す時、それだけで罰することはなさらず、ずっとご覧になられ、これからのことも知っておられ、その頑なさの故に、自らの罪を悔い改めない者に対して、主は裁き、滅ぼされるのです。
 しかし主なる神さまは、イスラエルの民をお救い下さいました。彼らに罪を繰り返し、主を裏切り、罪を繰り返しました。しかし、イスラエル人が滅ぼされる民と異なっていたことは、主によって愛されていたこと、またイスラエル人自身が、まったく不十分とは言え罪の悔い改めと、主への信仰を告白したのです。つまり、主が私たちに求めておられることは、自らの姿を顧み、罪を認め、主なる神さまの御前で悔い改めることです。そして主なる神さまによる救いを信じることです。その一方で、主がある者たちを滅ぼすのは、彼ら自身の頑なさの故であって、主はそれを赦すことは出来ないのです。
 神さまは恐ろしい神さまではありません。主が、罪を赦すことがお出来にならない義しいお方であること、また主は、今でも、すべてを滅ぼし尽くす御力を持っておられるお方なのです。しかし主は人が滅ぼされていくことを良しとされているのではなく、頑な者が神さまを信じる者となり、すべての者が救われることを望んでおられるのです。

Ⅱ.旧約と新約の違いを覚えよ
 改めて「聖戦」・「聖絶」について確認します。主はバシャンの王オグのこと、バシャンの国の人々一人ひとりをすべてご存じの上で、その「頑なさ」が溶けず、神に立ち帰らないことを知っておられたが故に、滅ぼし尽くすことを命じられたのです。つまり、聖戦は、主が直接イスラエル人に啓示されることにより行われます。言い換えれば、直接啓示が閉ざされている新約の時代に聖戦はあり得ません。
 私たちは主の愛を知らなければなりません。主はソドムを滅ぼそうとされた時、アブラハムの執り成しにより、ソドムを滅ぼすことを猶予されました(創世記18章)。ソドムにはアブラハムの甥ロトとその家族がいたのです。主はソドムにいる「10人のためにわたしは滅ぼさない」(創世記18:32)とお語りくださったのです。
 イスラム諸国にあって、義しい者、神の民はいないのでしょうか? 否、いるのです。世界中から宣教師は入っています。彼らはキリスト教徒であることが見つかれば、処刑されることを覚悟の上で、これらの国々で宣教しています。またイスラム諸国の人々の中にも、信仰を持って帰国し、隠れて信仰を持っている人たちがいるのです。このように神の民が何人も存在する国に対して、主が聖戦を語られることはないのです。
 それでも主は、主によって立てられたキリスト者である為政者に合法的戦争がありうることを、ウェストミンスター信仰告白(23:3)でも告白しています。「信心と正義、平和の維持のため」、「正当で必要な場合」です。非常に限定されなければなりません。信仰の故に迫害・虐げを受けている、武力によらなければ信仰者の救出を行うことが出来ない、ことです。主はエジプトを滅ぼし、イスラエルを救出する時、9回の猶予をお与えになったのです。10回目にして主はエジプトを滅ぼしたのです。
 第23章国家的為政者について 2「キリスト者が為政者の職務に召されるとき、それを受け入れて遂行することは、合法的である。職務の遂行に当たって、彼らは、それぞれの国の健全な法律にのっとり、特に信心と正義、平和の維持に努めるべきである。それで、その目的のために為政者は、正当で必要な場合には、新約の下にある今でも、合法的に戦争を行うことができる」。

Ⅲ.まだ神の裁きが来ていないに感謝せよ
 また今なお主が最後の審判を行わず、私たちにこの世における生活をお与え下さり、信仰を貫くことを求めておられることを忘れてはなりません。主は一瞬にして、全世界を滅ぼす力を持っておられます。そのお方が、東日本大震災と原発の事故において、すべてを滅ぼすことをしなかったのです。もちろん私たちは、今なお苦しみを覚えている人たちのことを忘れてはなりません。主が求めておられることは、このことをとおして、東北の人々も、そして同じ日本に住む私たちも、そして全世界の人々も、主がすべてを裁く力を持っておられることを知り、主の御前に悔い改め、主なる神さまへの信仰を持つことです。
 同時に、主がまだ猶予して下さっているのは、まだ神によって救われるべき神の民が、まだ教会に集まっていないからです(マタイ28:19-20)。主の忍耐に感謝しよう。

                                     (2012.10.21)

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