【申命記続講解説教】  辻 幸宏牧師

「主が戦って下さる」  申命記3章18~22節



申命記3章18~22節

  3:18 わたしはそのとき、あなたたちに命じた。「あなたたちの神、主はこの土地をあなたたちに与えて、それを得させてくださった。戦士たちは皆武装して、同胞イスラエルの人々の先頭に立って渡って行きなさい。
3:19 ただし妻子と家畜は、わたしが既に与えた町々にとどめておきなさい。わたしはあなたたちが多くの家畜を持っているのを知っている。
3:20 主があなたたちと同じく、これらの同胞に安住の地を与え、ヨルダン川の西側で彼らもあなたたちの神、主が与えられる土地を得るならば、あなたたちはわたしが既に与えた領地に帰ってよろしい。」
3:21 わたしはそのとき、ヨシュアに命じた。「あなたたちの神、主が二人の王に対してなさったことをすべて、あなたは自分の目で見た。主は、あなたがこれから渡って行くすべての王国にも同じようにされるであろう。
3:22 彼らを恐れてはならない。あなたたちの神、主が自らあなたたちのために戦ってくださる。」



序.
 今、日本の教会は、危機の時代にあります。高齢化であり、新来者が来ないことです。こうしたことは、改革派教会だけではなく、日本のどの教会にも訪れています。人間的に見るならば非常に不安です。私たちは主がお与え下さった摂理を受け止め、主の御前に真の悔い改め、遜り、謙遜さが求められています。私たち自身が主の御前に立ち、真摯に御言葉に聞かなければなりません。そのために説教がとても大切となるのです。

Ⅰ.旧約聖書から主の意志を確認する
 さて、旧約聖書は私たちの生活とかけ離れており、自分の生活とは全く結びつかないと思われている方もいるのではないでしょうか。旧約の民は、主の奇跡やモーセや預言者をとおして、主の臨在を確認することが出来ました。そして主から離れることにより、主の裁きがはっきりとしめされていました。 今、その神はどこにいったのか? 主は御子イエス・キリストをお遣わしになり、十字架の死と復活により、旧約のイスラエルの民、そして私たちの罪の贖いと救いの御業を完成して下さいました。私たちは新約の希望の中に生きています。私たちの罪の赦しと救いは、御言葉により、聖霊によって示されています。
 イスラエルの民は、エジプトを脱出してから40年、約束の地に入ろうとしています。ルベンとガド、マナセの半部族は、ヨルダン川東岸を嗣業の地として得ました(12~17)。これから他部族が約束の地に入っていこうとしています。彼らは改めて原住民であるカナンの人々と戦わなければなりません。この時に、主の民イスラエルの一致を覚えるために、約束の地が与えられたルベン、ガド、マナセの半部族の人々にも、先頭に立って戦いに行くことを主は命じます。これは、イスラエルが一つの民として、苦しみも悲しみも共有することが求められているのです。主を愛するように隣人を愛することが求められています。

Ⅱ.恐れてはならない
 主を信じるならば恐れる必要はありません。しかし既に嗣業の地が与えられた民にとっては、安住の地があることから、新たな戦いは大きな試練・恐怖となります。
 皆さんはいかがでしょうか? 私たちは主なる神さまによる救いを信じ、毎週、教会の礼拝に集っています。主がお語りになり、主の御言葉に聞き続けています。しかし、皆さんにとっては、住む家、働きの場・暮らしていける生活費が安定している前提があっての信仰ではないでしょうか。この時、私たちの価値判断は、今の生活が守られることを第一に、この世的に判断することが多いのではないでしょうか? 私たちは物事を自分自身で解決しなければならないと思っています。この時に、重要な決定が強いられるならば、恐れ、恐怖心を抱くことも出てくるのです。しかし私たちは、たとえそれらが奪われるとしても、主の御前に立って、主の道を求め、祈りつつ判断することです。
 中部中会においても、改革派教会においても、牧師が次々と引退していき、教会員が高齢化していく中、若い人たちが教会になかなか来ない、牧師になり手が少ないことは、人間的に見れば、非常に心配なことです。不安もあります。しかし私たちは、主がお与え下さった現状を受け入れることが求められています。そして主の御前に謙遜になることです。その上で、主がお与え下さる祝福を祈り求めなければなりません。
 主は宣教命令を発せられています。地の果てまで伝道しなければなりません。しかし、教会に人が集まれば良いのではありません。主を信じる民が集まり、主を愛し、兄弟姉妹を愛し合う群れとならなければなりません。イスラエルの民が、一つとなって、主の約束、主の命令に聞き従って、聖戦を行ったようにです。そこで争いが起こるのは、人間的になっているからです。自己中心的な判断が起こっているのです。不正が起こるのは、人間的な欲望が残っているからです。私たちに求められていることは、先のことを案じて不安に思うことではありません。礼拝出席が減り、教会が高齢化しようとも、主が共にいて下さり、主が導いて下さる信仰に立つことが求められています。
 韓国教会との宣教協力が行われるのは、今の日本の教会にとって必要なことなのです。信仰は一致しても、文化や歴史が異なり、教会の歩みの異なる高神派教会との協力を行うことで、私たちの教会は、真の教会を形成するために歩むことが出来るのです。韓国教会の大きさに戸惑う必要はありません。韓国教会も弱さを担っており、私たちと協力することにおいて、韓国の教会においても恵みがもたらされるのです。互いの教会が一つとなり、主の意志を確認しつつ、信仰を新たにされていかなければなりません。

Ⅲ.安住の地は与えられる!
 主は安住の地を与え下さいます。主は先にヨルダン川東岸をお与え下さったように、カナンの地にイスラエルの土地を与えるために、これからの戦いにおいても、主が勝利を収めて下さることを約束して下さっているのです。そして主がお与え下さった土地が、安住の地として、それぞれの部族に与えられる約束があるのです。
 皆さんにとって生きる希望とは何ですか?平安と生活の安定が続けば幸せなことです。しかし日本社会は今、全体的に保守的・右傾化しています。日の丸・君が代の強制化のみならず、私たちの信教の自由さえ奪われる時が来るかも知れません。だからこそ祈らなければなりません。しかし、たとえ信教の自由が奪われ、信仰の戦いが強いられようが、迫害が迫ってこようが、主は私たちに救いの約束が与えられているのです。主イエス・キリストは、すでに十字架にお架かりになり、復活して下さったのです。主を信じる者に対する罪の赦しと救いは成し遂げられたのです。私たちの生きる希望はここにあります。
 私たちと宣教協力している韓国教会は、壮絶な迫害の中、信仰の戦いを行い、多くの殉教者を出したのです。それでもなお、教会は絶えることなく、朝鮮戦争を経て、その後、大きく成長することが許されたのです(参照:マタイ10:28)。私たちの将来に対しても、また教会の行く末に対しても、不安もあり、恐れがあります。しかし旧約のイスラエルに対して、行くべき道をお示し下さり、安心と安住の希望をお与え下さった主なる神さまは、私たちに対しても、主イエス・キリストの十字架の贖いによる、日々の生活の安心と神の御国の安住を約束して下さっています。だからこそ、おびえることなく、準備しつつ、希望をもって歩み続けていきましょう。

                                     (2012.11.25)

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