【申命記続講解説教】  辻 幸宏牧師

「祈りとは」  申命記3章23~29節



申命記3章23~29節

  3:23 わたしは、そのとき主に祈り求めた。
3:24 「わが主なる神よ、あなたは僕であるわたしにあなたの大いなること、力強い働きを示し始められました。あなたのように力ある業をなしうる神が、この天と地のどこにありましょうか。
3:25 どうか、わたしにも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください。」
3:26 しかし主は、あなたたちのゆえにわたしに向かって憤り、祈りを聞こうとされなかった。主はわたしに言われた。「もうよい。この事を二度と口にしてはならない。
3:27 ピスガの頂上に登り、東西南北を見渡すのだ。お前はこのヨルダン川を渡って行けないのだから、自分の目でよく見ておくがよい。
3:28 ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう。」
3:29 我々はこうして、ベト・ペオルの前にある谷に滞在していた。




Ⅰ.祈りの大切さ
 神さまの祝福の内に、2012年も今日と明日をもって終えようとしています。年の区切りは、人間が定めたものですが、1年の終わりに主なる神さまが私たちの内に働いて下さり、恵みを満たして下さることを、私たちは主の御前に確認し、感謝することが許されているのです。今年の標語は、「畏れをもって主を仰ぎ見よ! 魂の救いを求めて・・」でした。特に、主の御前に生きるとはどういうことかを覚えたのです。全知全能であられる主の御前に自らを置いた時、主の定められた律法によって自らを省みなければなりません。行い・言葉・心の中で、主が定められた十戒を全うする生活など出来ない姿が露わになります。それでもなお、主は、御子イエス・キリストの十字架による救いをお与え下さったのです。
 主の御前に救いが与えられた私たちは、主の御前に感謝の礼拝を献げると同時に、祈ることが許されています。カルヴァンは、キリスト教綱要の第3篇第20章「祈祷論」で次のように語ります。「祈りとは人と神とのある意味での交流である。人は祈りによって天の聖所に入り、神の前に出る。また必要が要請する場合には、御約束について訴えを申し上げ、それまで言葉だけで承諾され信じられていたことが空しい約束ではなかったと体得する。したがって、主から期待すべく我々の前に置かれたものの内で、祈りによって求めよと命じられていないものはないのだから、主の福音が我々の信仰に示して直視させる宝を祈りによって掘り出すということは真実である」。私たちは礼拝と共に毎日の祈りの生活を大切にしなければならないのです。

Ⅱ.祈り:主を知ること
 さて、出エジプトを果たしたモーセとイスラエルの民は、40年の荒野での歩みを終え、いよいよ約束の地カナンに入ろうとしています。この時にモーセは、主の栄光を称え、祈り求めます。祈りとは神さまとの交わり・対話です。相手を知らずして交り、話し合うことはできません。そのため私たちは、神さまがどのようなお方であるか知らなければなりません。そのため聖書を読みます。知らない神に対して祈り続けることほど空しいことはありません。モーセは出エジプトと荒野の40年が守られたことを感謝して祈ります。
 モーセをとおしてお働きになる主なる神さまが、今も私たちに働きかけて下さっています。死んだ神ではありません。聖霊をとおして、今も私たちに働きかけて下さる神です。

Ⅲ.祈り:己を知ること
 モーセは続けて「どうか、わたしにも渡って行かせ、ヨルダン川の無効の良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください」と祈ります。しかし主は、あなたたちのゆえにわたしに向かって憤り、祈りを聞こうとされなかった。主はわたしに言われた。「もうよい。このことを二度と口にしてはならない」と答えられます。モーセの祈りはそのまま聞き入れられませんでした。主は私たちの祈りを聞き届けて下さいます。しかし私たちの祈った通りの答えとは限らないのです。
 私たちは祈る時、自らの姿を省みなければなりません。モーセは主によってイスラエルの指導者として立てられ、その働きを全うしました。しかし同時にモーセはイスラエルを代表しており、イスラエルは繰り返し主を無視し信じなかった故に、主はイスラエルの民を裁かれます(民数記13~14章)。それ故モーセもカナンに入ることは許されませんでした。
 またモーセも主を試す罪を犯したのです(民数記20:1-12)。モーセも、主の御前には一人の罪人です。自らの罪を悔い改め、遜り、主の命令に従うことが求められます。主の御前に祈る時、私たちは自らの罪を悔い改めた上で祈願することが求められているのです。

Ⅳ.祈りに対する主の答え
 その上で、主はモーセに代わる指導者としてヨシュアが立てることを改めてお語りになります(3:27-28)。モーセの祈りに対する主の答えは、イスラエルの祝福であって、そのためにヨシュアを立てることでした。つまり、主はモーセの祈りを無視されたのではなく、違う形で受け入れ、答えをお与え下さったのです。
 私たちは、今年も主によって命が与えられ、すべての恵みの中に入れられました。主は生きて働いておられます。主は私たちのすべてを知っておられ、祈りをもすべて聞き届けて下さいます。皆さまは主に何を祈り続けてきましたでしょうか? その祈りは聞き届けられましたでしょうか? 祈りっぱなしではなく、確認する必要があります。祈りが聞き届けられたのであれば、感謝の祈りが生まれます。祈りが別の形となり答えが与えられたのであれば、自らを省み、悔い改めが迫られます。だからこそ、私たちは改めて御言葉をとおして主なる神さまを知り、自らの姿を省み、主に祈り続けていかなければなりません。

                                     (2012.12.30)

COPYRIGHT(C) 2012 日本キリスト改革派大垣教会  ALL RIGHTS RESERVED



戻る