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【礼拝説教】  「主の命令、王の命令」  辻 幸宏牧師

出エジプト記5章1節〜6章1節

  1 その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」2 ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。3 二人は言った。「ヘブライ人の神がわたしたちに出現されました。どうか、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしないと、神はきっと疫病か剣でわたしたちを滅ぼされるでしょう。」
  4 エジプト王は彼らに命じた。「モーセとアロン、お前たちはなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのだ。お前たちも自分の労働に戻るがよい。」5 ファラオは更に、言った。「この国にいる者の数が増えているのに、お前たちは彼らに労働をやめさせようとするのか。」6 ファラオはその日、民を追い使う者と下役の者に命じた。7 「これからは、今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。8 しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。9 この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう。」
  10 民を追い使う者と下役の者は出て行き、民に向かって、「ファラオはこう言われる。『今後、お前たちにわらは一切与えない。11 お前たちはどこにでも行って、自分でわらを見つけて取って来い。ただし、仕事の量は少しも減らさない』」と言ったので、12 民はエジプト中に散ってわらの切り株まで集めた。
13 追い使う者たちは、「わらがあったときと同じように、その日の割り当てをその日のうちに仕上げろ」と言って、せきたてた。14 ファラオに任命された追い使う者たちは、監督として置いたイスラエルの人々の下役の者らに、「どうして、今までと同じ決められた量のれんがをその日のうちに仕上げることができないのか」と言って、彼らを打ったので、15 イスラエルの人々の下役の者らはファラオのもとに行って、訴えた。「どうしてあなたは僕たちにこのようにされるのですか。16 僕らにはわらが与えられません。それでも、れんがを作れと言われて、僕らは打たれているのです。間違っているのはあなたの民の方です。」17 彼は言った。「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ。18 すぐに行って働け。わらは与えない。しかし、割り当てられた量のれんがは必ず仕上げよ。」19 イスラエルの人々の下役の者たちは、「れんがの一日の割り当ては減らすな」と命じられて、自分たちが苦境に立たされたことを悟った。
  20 彼らがファラオのもとから退出して来ると、待ち受けていたモーセとアロンに会った。21 彼らは、二人に抗議した。「どうか、主があなたたちに現れてお裁きになるように。あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです。」22 モーセは主のもとに帰って、訴えた。
  「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。23 わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」
  6:1 主はモーセに言われた。
 「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」


 先日、行われた定期大会において、教育基本法「改正」に反対する声明を出すことが、決議されました。この時、相当時間を費やして議論いたしました。教会がこの様な抗議声明を採択することに対して、政治介入であるとの強い批判もあったのです。しかし今議論されている教育基本法が改正される事により、戦中たどってきた国家主義教育が復活する道を開くこと、さらには思想・信条が侵害され良心の自由が奪われることにより、私たちキリスト者としての生活にも大きな影響をもたらすことを、私たちの教会は信仰の問題と捉え、政府に対して抗議声明を提出することとなりました。
 この時一つの意見として語られたことは、「この様な抗議声明を教会が提出することにより、教会が迫害の対象となる」との危惧です。この意見は、今のままでは戦前と同じ道を歩む。そして反対する者たちに対する迫害が起こるとの前提があります。しかし、抗議声明を出すのは、そのような時代にならないようにするためです。迫害が起こるから、声を出さないのであれば、私たちの信仰の立場、主なる神さまが私たちに何を信じ、何を求めておられようとしているのかということを忘れようとしているのでしょうか?
 私たちは、今、この日本にあって、ごく少数のキリスト者の中に生きています。そのために、多かれ少なかれ地域の人たちとの摩擦もあるかと思います。迫害は避けたいです。そうした中にあって、私たちキリスト者は、どのような信仰生活を送らなければならないのか、今日の御言葉が語ってくれるのではないでしょうか。
 エジプトにあって奴隷とされているイスラエルを救い出すために、主によって召されたモーセは、兄アロンと出会い、エジプトの王ファラオのもとに出かけていきます。モーセは、主なる神さまの力を信じること、自分がその働きに召されていること、イスラエルの人々が自分に従うこと、そのいずれもが信じられないことであり、召しを与えられた主に対して、何度も何度も問い返したのですが、主は奇跡というしるしをモーセに与え、そして人々に言葉を伝える兄アロンとの再会とにより、モーセは主を信じたのです(3,4章)。
 そしてモーセとアロンは、エジプトにおいて神とされていたファラオよりも高い位にイスラエルの神、主がおられ、その主の命令として、ファラオに語りかけます。主なる神さまを信じることは、言い換えれば、地上における権力者に対する恐れは残っているものの、それ以上の力を有しておられるお方の守り、支えてを信じて行動する者とされるのです。
 主がモーセを立て、モーセをファラオのもとにつかわせたのは、主がイスラエルを愛しておられ、イスラエルを奴隷の状態から救い出すことが目的です。その主の愛を私たちは、忘れてはなりません。
 一方、地上で強力な権力を有していると自負しているエジプト王ファラオは、目に見えない主に対する畏れはありません。なぜ、目に見えない主に対して、自分が従わなければならないのかと問いかけます(2)。そして自らの権力を守るがために、自らの権力を奪おうとする者に対して、さらなる虐げを行います(7〜9)。
 権力者であれば、自分のさじ加減で何を行ってもよいのか? 権力者、為政者が立てられるのは、主御自身であり、御自身の栄光と公共善のためであり、善良な者は守り励ますことが求められているのです(ウェストミンスター信仰告白23:1)。さらに、上に立つ者が、奴隷である者たちに対する愛をもって、接しなければならないと聖書は語ります(コロサイ4:1、参照:ウェストミンスター大教理問答問129,130)。
 主の存在を受け入れず、己の権力にすがろうとする者は、この様な主の御前に罪と宣言されることを繰り返すわけです。そしてそう言う状況の中でキリスト者である私たちの対応が問われているのです。ファラオによってさらなる苦しみを覚えたイスラエル人は、まず、ファラオに嘆願をいたします。ファラオはその誓願をまったく受け入れられません。
 続けてイスラエル人は、モーセとアロンに対して訴え出ます。そしてその訴えを、モーセはさらに主に訴えます。主なる神さまは、このイスラエルの苦しみをご存じです。そして、あなたたちの苦しみを知っており、必ず解放することを宣言して下さるのです(6:1)。
 不義を行う者の報い、裁きは、主にお任せし、主に助けを祈りつつ、上に立つ権威者にも従うことが求められいます(参照:コロサイ3:22)。それは、苦しむ民を、主は知っておられ、助けて下さる信仰から来るものです。つまり、私たちは、不正なことを行う為政者に対して、また誤った方向に向かおうとしている為政者に対して、第一にすべきことは、主の道に反していることを為政者に対して語り、不正の除去を訴え出ることです。それでもなお、為政者は過ちを改めない時、その事実を訴えつつも、その罪の刑罰を主に委ねつつ、主による助けの御手を信じて祈りつつ、為政者に従うことが求められているのです。

                                            (2006.10.22)
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