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【礼拝説教】  「主の命令と人々の反応」  辻 幸宏牧師

出エジプト記6章1節〜13節、ヨハネ黙示録21章1〜8節

  1 主はモーセに言われた。
  「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」

  2 神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。3 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。4 わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。5 わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。7 そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である。」9 モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。
  10 主はモーセに仰せになった。11 「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい。」12 モーセは主に訴えた。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」13 主はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々とエジプトの王ファラオにかかわる命令を与えられた。それは、イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せというものであった。



 主がモーセを立て、イスラエルを救って下さろうとしていた時、イスラエルの民はどの様に思ったでしょうか?神を知らない為政者が、神の言葉を信じないことは理解出来ます。しかしイスラエルは、アブラハム以来の主の約束の民です。そのイスラエルはヤコブの時代から約400年が経ち、主なる神さまの臨在を信じる信仰から、言い伝えによる形だけの宗教に成り下がっていたのです。それは、創立60周年を迎えた日本キリスト改革派教会にも重ね合わせることが出来ると思います。信仰の継承の問題です。しかしイスラエルの問題は、同時にファラオに反抗することを恐れ、力がそがれていたことも一因です。
 主なる神さまは全能の神(エル・シャダイ)です(3)。「何事でもなしうる能力を持った力ある神」です。過去・現在・未来において永遠・無限・不変におられる神が、今も力を有しておられるのです。イスラエルは、主から離れ、神を忘れていましたが、主はイスラエルと共にいて下さったのです。
 そして、主はイスラエルとの契約を覚えていて下さいます。それはアブラハムに対しての契約です(創世記13:14-17)。昔おられ、今おられ、永遠におられる主なる神さまは、永遠の存在であり、かつ全能なる方ですから、変更されることはなく、また不可能なことなどありません。約束し、契約を結んで下されば、その約束を果たして下さるのです。
 しかし、奴隷と化したイスラエルにとってはそのような契約など、信仰が薄れたのとあわせて、忘れ去られていたのです。救いの約束を信じることと、信仰とは比例いたします。
 主はイスラエルとの契約を覚えておられます(5)。「わたしの契約を思い起こした」とは、あたかも一度は忘れてしまったが思い出したかの如く、擬人的に聖書は語りますが、主がイスラエルを救って下さろうとしていること自体に変更はないのです。
 そして主なる神さまは、今、重労働の下で苦しんでいるイスラエルの民に、新たな救いの契約を結んで下さいます(6b-7)。虐げている者を裁き、あなたたちイスラエルを救い出すと宣言して下さっています。ここに抽象的な神さまがおられるのではありません。アブラハム・イサク・ヤコブの族長時代のイスラエルではなく、今苦しみの中にあるあなたたちイスラエルを救うと主は宣言して下さっているのです。「主があなたたちの神となり、あなたたちは主の民となるのです。」あなたは主なる神さまの民としての刻印が押されているのです。救われることが約束され、新天新地の祝福が約束されています。ここに、割礼という形だけの信仰から、全知全能で、イスラエルを苦しみから救って下さる生きて働く主なる神さまがおられます。この後、イスラエルの人々は、主のこの約束により、エジプトの奴隷の状態から救い出され、約束の地カナンに導かれるのです。イスラエルの民は、救いが提示されつつもその主の言葉を信じませんでしたが、主はその約束を果たして下さるのです。これこそが主の愛です。
 ここでイスラエルに、そして私たちが問われているのは、主なる神さまへの信仰です。人々は、目に見ることなく、直接耳にすることのない主なる神を信じることはありません。現実にしか目が行きません。しかし、十字架の死から三日目に復活して下さった主イエスは、釘の跡に手を入れなければ信じないと言った弟子のトマスに語られました。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20:29)。私たちも、御言葉によって救いを提示して下さっている主を信じることが求められているのです。
 イスラエルをエジプトの奴隷状態から救い出すと約束して下さった主なる神は、イスラエルが主の救いの約束を信じなかったにもかかわらず、その約束を果たして下さいました。そして、その主なる神さまは、メシアとしてイエス・キリストをこの世に賜り、罪の赦しと救いのために十字架にお献げ下さったのです。その主なる神さまが、今、私たちに対して、信じて、神の刻印を受けた者が、新天新地、神の国、天国の約束をして下さっているのです(黙示録参照)。私たちは、今、形だけ神さまを礼拝したり、教会から離れることではなく、約束を成就して下さるこの主なる神さまの救いの約束を信じて、主の御言葉に聞き従っていくことが求められているのです。
                                            (2006.10.29)
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