トップ > 説教要約一覧 > 出エジプト記説教(6章)


【礼拝説教】  「賜物と役割分担」  辻 幸宏牧師

出エジプト記6章14節〜7章7節

  14 彼らの家系の長は次のとおりである。イスラエルの長男ルベンの子らは、ハノク、パル、ヘツロン、カルミで、これらがルベンの氏族である。15 シメオンの子らは、エムエル、ヤミン、オハド、ヤキン、ツォハルおよびカナンの女から生まれたシャウルで、これらがシメオンの氏族である。16 レビの子らの名は家系に従うと次のとおりである。ゲルション、ケハト、メラリ。レビの生涯は百三十七年であった。17 ゲルションの子らは、氏族に従うと、リブニとシムイである。18 ケハトの子らは、アムラム、イツハル、ヘブロン、ウジエルである。ケハトの生涯は百三十三年であった。19 メラリの子らは、マフリとムシで、これらが家系に従ったレビの氏族である。20 アムラムは叔母ヨケベドを妻に迎えた。彼女の産んだ子がアロンとモーセである。アムラムの生涯は百三十七年であった。21 イツハルの子らは、コラ、ネフェグ、ジクリである。22 ウジエルの子らは、ミシャエル、エルツァファン、シトリである。23 アロンは、アミナダブの娘でナフションの姉妹であるエリシェバを妻に迎えた。彼女の産んだ子がナダブ、アビフ、エルアザル、イタマルである。24 コラの子らは、アシル、エルカナ、アビアサフで、これらがコラ人の氏族である。25 アロンの子エルアザルは、プティエルの娘の一人を妻に迎えた。彼女の産んだ子がピネハスである。以上が氏族ごとのレビ人の家長である。
  26 主が、「イスラエルの人々を部隊ごとにエジプトの国から導き出せ」と命じられたのは、このアロンとモーセである。27 そして、イスラエルの人々をエジプトから導き出すよう、エジプトの王ファラオの説得に当たったのも、このモーセとアロンである。

  28 主がエジプトの国でモーセに語られたとき、29 主はモーセに仰せになった。「わたしは主である。わたしがあなたに語ることをすべて、エジプトの王ファラオに語りなさい。」30 しかし、モーセは主に言った。「御覧のとおり、わたしは唇に割礼のない者です。どうしてファラオがわたしの言うことを聞き入れましょうか。」
  1 主はモーセに言われた。「見よ、わたしは、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。2 わたしが命じるすべてのことをあなたが語れば、あなたの兄アロンが、イスラエルの人々を国から去らせるよう、ファラオに語るであろう。3 しかし、わたしはファラオの心をかたくなにするので、わたしがエジプトの国でしるしや奇跡を繰り返したとしても、4 ファラオはあなたたちの言うことを聞かない。わたしはエジプトに手を下し、大いなる審判によって、わたしの部隊、わたしの民イスラエルの人々をエジプトの国から導き出す。5 わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」
  6 モーセとアロンは、主が命じられたとおりに行った。7 ファラオに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。


 ヤコブの子たちから始まる系図が記されています(14-27)。創世記でも繰り返し系図が出てきましたが、聖書は重要な局面に差しかかる度に系図を記し、その人物がイスラエルに属する民であることを確認します。ここでも、主によって召され、エジプトでイスラエルを解放するモーセとアロンがヤコブの子レビの子孫であることを示す系図が出てきます。ここで、イスラエルの長男ルベン、次男シメオン、三男レビが語られ、後の兄弟たちが記されていないのは、焦点がレビの子孫であるモーセにあるからです。また、ヤコブと子どもたちがエジプトに渡ってから約400年の年月が経っているにもかかわらず、モーセが4代目であることへの疑問も出て来ますが、聖書が「〜の子」と語る時、「〜の子孫」の意味でもあり、間の世代が省略されているのです。
 ところで現代に生きる私たちはこの系図をどの様に理解すれば良いのか? ヨハネの黙示録には、神の民たるキリスト者は、天国にある「命の書」に名前が記され(3章)、「神の刻印」が押されること(7章)、が語られています。生きて働く主なる神さまがおられ、この主による救いを信じる私たちは、命の書に名前があり、目に見えませんが額には神の刻印が刻まれているのです。私たちは、その主の救いの約束を信じる民とされているのです。
 その後、主は改めてモーセに対して、ファラオに語り、イスラエルを解放するようにとの召しを与えます。召しは一回限り劇的に起こるだけではありません。時として繰り返し語られることにより徐々に信仰が与えられ、主の働き人へと変えられることもあるのです。
 しかしモーセは、改めて主の召しを拒絶します。「割礼のない者です」(30)とは、「口べた」(新改訳)なことで、「主からの賜物が与えられておらず、その働きに適さない者です」といった意味が込められています(参照 4:10)。モーセも一人の罪人に過ぎず、この人間的な弱さは、私たち自身の弱さなのです。
 しかし主なる神さまは、こうしたモーセの態度に対しても怒ることはいたしません。子どもをあやすように、主はモーセに対してさらにお語り下さいます。神さまを知らない人の中には、主なる神さまのことを、最後の審判において全てを滅ぼす恐ろしい神であるとの勝手な判断があります。しかし主なる神さまは、あなたが己が罪を受け入れ、悔い改め、主なる神さまを信じ、主に全てを委ねて従うことを常に求めておられるのです。主なる神さまが、忍耐強くあなたのことを待っていて下さるのに、主の御心を知らずに、主がどういうお方であるかと決めつけることこそ、罪深いことなのです。
 そして主はモーセに対して預言者アロンをお与え下さいます(7:1)。主は、モーセを召しつつ、モーセ自身が人前で口が立つ者でないことをご存じなのです。いや主御自身が、モーセに、そうした賜物をお与えになられていないのです。主が口の立つ賜物を与えられたのはアロンです。つまり主は、モーセ一人に全ての働きを行うように命じられたのではなく、主はモーセを立てられたように、アロンをもお立て下さったのです。
 主は、創造者であり、人々に命をお与え下さいます。そして、すべての人に性格、特技を、主が賜物としてお与え下さいます。万能な人など誰一人いないのです。互いが欠けのある人間、罪のある人間として、主の御前にその弱さを覚えるのです。だからこそ、教会・家族・またどのような集団においても、役割分担が求められ、それぞれの欠けを補い合うのです(参照:Tコリント12:12〜26)。
 モーセは、主の代理者として、ファラオの前に立ち、本当の王である主の権力を示すために立てられたのです。だからこそモーセは、自分自身を神と称しているファラオの前にも対等に立つことが出来、また主の働きを全うすることが出来る者とされ、主の権威を示すために、主の語る御言葉にひれ伏さないファラオに対して、奇跡を行うのです。
 モーセが、繰り返し繰り返し主の召しに対して、辞退を願い出ながら、主がモーセにその働きを担うのは、主なる神さまが共にいて下さり、必要な力、賜物、そして奇跡を行う力をお与え下さるからであり、さらに、全てをモーセ一人に委ねるのではなく、イスラエルの民に語る使命をアロンに与え、モーセの重荷を取り除いて下さったからです。
 主なる神さまは、モーセの弱さ・欠けをご存じであり、受け入れて下さったように、私たち一人一人のことも全てご存じです。そして主は、救いの御手と賜物を私たちにお与え下さっています。だからこそ私たちは、主を信じること、そして主が必要な賜物をお与え下さること、さらに欠けのある部分を補う者を主がお与え下さることを信じて、私たちは主の働きのために召されているのです。

                                            (2006.11.5)
COPYRIGHT(C) 2006 日本キリスト改革派大垣教会  ALL RIGHTS RESERVED



戻る