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【礼拝説教】  「真実の神と神もどき」  辻 幸宏牧師

出エジプト記7章25節〜8章15節

  25 主がナイル川を打たれてから七日たつと、26 主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行って、彼に言いなさい。主はこう言われた。『わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ。27 もしあなたが去らせることを拒むならば、わたしはあなたの領土全体に蛙の災いを引き起こす。28 ナイル川に蛙が群がり、あなたの王宮を襲い、寝室に侵入し、寝台に上り、更に家臣や民の家にまで侵入し、かまど、こね鉢にも入り込む。29 蛙はあなたも民もすべての家臣をも襲うであろう』と。」8:1 主は更にモーセに言われた。「アロンにこう言いなさい。杖を取って、河川、水路、池の上に手を伸ばし、蛙をエジプトの国に這い上がらせよ。」2 アロンがエジプトの水の上に手を差し伸べると、蛙が這い上がってきてエジプトの国を覆った。
8:3 ところが、魔術師も秘術を用いて同じことをし、蛙をエジプトの国に這い上がらせた。4 ファラオはモーセとアロンを呼んで、「主に祈願して、蛙がわたしとわたしの民のもとから退くようにしてもらいたい。そうすれば、民を去らせ、主に犠牲をささげさせよう」と言うと、5 モーセはファラオに答えた。
  「あなたのお望みの時を言ってください。いつでもあなたとあなたの家臣と民のために祈願して、蛙をあなたとあなたの家から断ち、ナイル川以外には残らぬようにしましょう。6 ファラオが、「明日」と言うと、モーセは答えた。「あなたの言われるとおりにしましょう。あなたは、我々の神、主のような神がほかにいないことを知るようになります。7 蛙はあなたとあなたの王宮、家臣や民の間から退いて、ナイル川以外には残らなくなるでしょう。」8 モーセとアロンがファラオのもとから出て来ると、モーセはファラオを悩ました蛙のことで主に訴えた。9 主はモーセの願いどおりにされ、蛙は家からも庭からも畑からも死に絶えた。10 人々はその死骸を幾山にも積み上げたので、国中に悪臭が満ちた。11 ファラオは一息つく暇ができたのを見ると、心を頑迷にして、また二人の言うことを聞き入れなくなった。主が仰せになったとおりである。
  12 主はモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『杖を差し伸べて土の塵を打ち、ぶよにさせてエジプト全土に及ぼせ』と。」13 彼らは言われたとおりにし、アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った。14 魔術師も秘術を用いて同じようにぶよを出そうとしたが、できなかった。ぶよが人と家畜を襲ったので、15 魔術師はファラオに、「これは神の指の働きでございます」と言ったが、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。



 今日の社会では、本物そっくりの偽物が氾濫しています。「もどき」ものです。たとえば食品サンプルなどは見た目だけですと本物と間違うようなものがあります。しかしこの場合、手で触ったり、食べようとすると偽物であることは明らかになります。サンプルにはそのようなことまで似せる必要がないからです。まさしく似て非なるものなのです。
 このもどきものが神にもあるのです。「神」と呼ばれるお方はお一人、主なる神さまだけで、他に神と呼ばれているものは、「もどき」なのです。それが偶像です。私たちは、この真実の神さまと、神もどきの偶像との違いを認識し、真に神を求める必要があります。
 さて今日の御言葉では、主がエジプト王ファラオに行われた10の奇跡の内の2番目、3番目が記されています。主が奇跡を行われるのは、ファラオがイスラエルを奴隷から解放することが最終的な目的ですが、それと同時に主こそが力がある唯一の神であり、他の神々は「もどき」にすぎないことを示すためでもあります。
 最初は蛙の奇跡です。蛙は、エジプトでも珍しい動物ではなく、むしろ水中に無数に生息する蛙が多産であることから豊穣のシンボルとして神格化されていました。ですから、エジプトで神とされているものに対する主の挑戦です。神格化された蛙でも、領土全体に、王宮にも、寝台にも、食事場までも襲いかかってきます。足の踏み場もない程、寝る場所もない程です。こうなると神格化された蛙とて、ファラオは完全除去を求めます。明らかに神としての地位を失うのです。
 この時同時に、魔術師の限界も示されます。魔術師は同じように蛙を出しますが、しかし除去することは出来ません。ファラオもそのことを理解していました。トリックに過ぎなかったからでしょう。だからこそファラオは蛙の除去をモーセに頼みます(8:4)。
 モーセが「いつか」との問いに、ファラオは「明日」と答えます。これは主の力が示され、神もどきの蛙・魔術師のメッキがはがれても、なおも頑ななファラオの姿です。「今すぐ」にでも除去して欲しい蛙を「明日」と語るのは、なおも魔術師に望みを置いていたからです。主に従うことが出来ない人間の姿・あがきがここにみられます。それは、蛙が除去されてもなおです。「民をさらせる」との約束は反故にされます。
 つまり真実・力ある主なる神さまが示され、一方ではメッキがはがれ、さびた状態が露わになっている偶像が明らかになっても、人は自分を変えることが出来ないのです。
 続けてぶよの奇跡が行われます。ぶよとは、蚊、のみ、うじのようなものでしょう。一匹いてもうっとうしいぶよが大量発生します。ここで注目すべき事は、魔術師の態度です。魔術師は秘術を用いて同じようにぶよを出そうとしますができません。そして自分たちが神でないことを明らかにします。そしてさらに魔術師は、「これは神の指の働きでございます」と主の御業を受け入れます。真実を求めようとするものは、真実が示されると己の限界を知り、また真実の力を見抜くことが出来るものとされるのです。そして魔術師はこれ以後、モーセの前から消えて行き、主に対抗しようとしません。もどきの神は、嘘が明らかにされ、主に屈服させられていきます(参照:Uテサロニケ2:9-12)。
 こうして、魔術師が逃げて行き、裸の王様となったファラオがいます。彼は頑なです。しかし、主は「だから彼は負けた。ダメだ」とは切り捨てないのです。主が真実に求めておられることは、もどきがあばかれ、真実の神が示されたのだからこそ、何もない己をさらけ出し、主の御力を受け入れ、主を信じ、主に従うことを求めておられるのです。己の罪を悔い改めることです。だからこそ主は、罪の赦しをもたらすため、御子イエス・キリストをこの世に賜り、律法に仕え、私たちの罪の刑罰を十字架に負うて下さったのです。何もなくなったからダメなのではなく、何もないからこそ、主に求め、主に委ね、主を信じて歩むことを求めておられるのです。

                                            (2006.11.19)
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