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【礼拝説教】  「役割分担」  辻 幸宏牧師

出エジプト記18章12〜27節

  12 モーセのしゅうとエトロは焼き尽くす献げ物といけにえを神にささげた。アロンとイスラエルの長老たちも皆来て、モーセのしゅうとと共に神の御前で食事をした。
  13 翌日になって、モーセは座に着いて民を裁いたが、民は朝から晩までモーセの裁きを待って並んでいた。14 モーセのしゅうとは、彼が民のために行っているすべてのことを見て、「あなたが民のためにしているこのやり方はどうしたことか。なぜ、あなた一人だけが座に着いて、民は朝から晩まであなたの裁きを待って並んでいるのか」と尋ねた。15 モーセはしゅうとに、「民は、神に問うためにわたしのところに来るのです。16 彼らの間に何か事件が起こると、わたしのところに来ますので、わたしはそれぞれの間を裁き、また、神の掟と指示とを知らせるのです」と答えた。17 モーセのしゅうとは言った。「あなたのやり方は良くない。18 あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。19 わたしの言うことを聞きなさい。助言をしよう。神があなたと共におられるように。あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、20 彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。21 あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を/選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。22 平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。23 もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができ、この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう。」24 モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、その勧めのとおりにし、25 全イスラエルの中から有能な人々を選び、彼らを民の長、すなわち、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長とした。26 こうして、平素は彼らが民を裁いた。難しい事件はモーセのもとに持って来たが、小さい事件はすべて、彼ら自身が裁いた。
  27 しゅうとはモーセに送られて、自分の国に帰って行った。



 私たちは、神の民としてキリストの教会に属しています。父・子・御霊なる神さまを信じ、キリストの十字架こそが、自分自身の罪の赦しと救いのためであったことを信じて、信仰の告白を行うことにより、神の民とされるのです。そして、私たちは、神の民として、何よりも神の御言葉により救われ、御言葉によって生かされています。だからこそ、教会で奉仕に明け暮れ、神の御言葉に聞くことを忘れては、本末転倒になります。御言葉に生きることなく、奉仕を行う達成感によって生きることとなるからです。
 しかしだからといって、「礼拝にさえ集っていれば良いのだ」というのも行き過ぎです。教会は、神の聖霊による働きによって形成されていきますが、そのために、主によって救われたキリスト者は、主の御声に聞き、主のための働き人として召されているのです。
 今日、与えられた御言葉には、主によって立てられたモーセについて語られています。モーセは主に仕え、人々に御言葉を取り次いでいました。そしてイスラエルの先頭に立ち、荒れ野の旅を続けていました。さらに人々の相談を受け、また中立的な立場に立って人々の裁きの仲裁を行っていました。
 しかしこうした状況を見たしゅうとのエトロ(口語:エテロ、新改訳:イテロ、別名:レウエル(2:18等))はモーセに忠告します(17-19)。ここでまず抑えておかないと行けないことは、モーセがエトロの忠告を受け入れるということです。人の上に立つ者、権威・権力が与えられた者は、第一に主に対して誠実であることが求められます。主の御言葉に聞き、主の命令に聞き従うことです。そして第二に、人の語る言葉に耳を傾けることです。人は得てして、権力を持つと、何でも自分の言うとおりになると思い、自分の考えを人に押しつけがちです。ここに人の罪が現れるのです。だからこそ上に立つ者も、まず人の意見を聞かなければなりません。そしてそれが正しく、納得の行くことであれば、語られた言葉に聞き従うことが求められるのです。
 そしてエトロは具体的な提言をモーセに行います(19-23)。まず神によって召されたモーセの行うことは、事件について主に執り成しの祈りを行うことです(19)。祭司としての努めです。これはモーセの本来あるべき努めなのです。第二に、彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべきことを教える預言者としての努めです(20)。そして第三に、大きな事件があったときは、裁きを行うことです。統治者、王としての努めです。
 一方エトロは、モーセに代わる奉仕者を立てることも求めます(21-22)。ここで十人隊長が語られていますので、一家族か二家族に一人です。つまり、家庭内で解決できることは、家長(十人隊長)によって解決しなさいと語るのです。それが出来なければ50人隊長、100人隊長の所に持って行くのであり、町内会・教会単位と言って良いでしょう。
 しかし問題を解決するために立てられる隊長は誰でも良いわけではありません。お節介な人、世話焼きの人は、どこにでもいますが、なりたい人が行えばよいのではありません。民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選ぶのです(21)。つまり、神さまのことを信じて、神の御言葉に仕え、忠実な人でなければなりません。その上で、他人からも信頼される人でなければならないのです。そうでなければ、たとえ裁きを行ったとしても、それが両当事者に受け入れられることはないからです(参照:使徒6:3)。
 ですから、私たちが教会を建て上げていこうとする時、主によって召された牧師が中心になります。しかしその一方にあって、長老・執事、その他の奉仕者も立てられ、牧師をサポートする体制が整っていく必要もあるのです。そうでなければ、牧師も本来の努めを行うことが出来なくなる状態に陥るのです。
 そのため、私たちが教会を形成していこうとする時、それぞれの働き人が立てられていくことが何よりも大切なことなのです。そのために、常に御言葉に聞き、主に従い、神を畏れ、人々から信頼されることが求められていきます。このように霊的に主の御言葉に聞き従う人々が、教会様々なの働きを担って行く時、キリストの教会は成長していくのです。

                                     (2007.4.29)
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