トップ > 説教要約一覧 > 出エジプト記説教(20章)


【礼拝説教】  「主をのみ礼拝せよ」 出エジプト記20章22〜26節  辻 幸宏牧師

出エジプト記20章22〜26節

◇契約の書
◆(1)祭壇について
  22 主はモーセに言われた。イスラエルの人々にこう言いなさい。あなたたちは、わたしが天からあなたたちと語るのを見た。23 あなたたちはわたしについて、何も造ってはならない。銀の神々も金の神々も造ってはならない。
  24 あなたは、わたしのために土の祭壇を造り、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物、羊、牛をその上にささげなさい。わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。25 しかし、もしわたしのために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。のみを当てると、石が汚されるからである。26 あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。




 午後の礼拝では今日からは、出エジプト記を改めて読み始めます。すでに朝の礼拝において、創世記から出エジプト記20章の十戒の箇所までを、読み続けてきました。

T.契約の書を学ぶにあたって
 表題に「契約の書」と記され、その後23章まで(1)〜(16)にそれぞれの契約が記されていきます。十戒そのものが神から与えられた契約であり、20:22以降の契約は、十戒を肉付けしたものと考えることが出来るかと思います。
 十戒の解説としては、礼拝において講読を行っておりますウェストミンスター小教理(同大教理は更に詳細です)においては、積極部分(求めていること、服従)と、消極部分(禁じていること、禁止事項)が記されています。私たちは、この教理の学びにより、十戒について学ぶことも出来るのですが、主がお語り下さる御言葉を通して、当時のイスラエルの民に具体的なことを語られていることから聞くことも非常に大切なことなのです。

U.偶像礼拝の禁止
 契約の書の最初の御言葉として、偶像崇拝と祭壇について記されています。これらは共に礼拝に携わることであり、最も重要なこととして、最初に記されているのです。
 私たちは、十戒の第二戒において「刻んだ像を造ってはならない」と語られる時、偶像を造ってはならないことを第一に考えてしまいます。しかし、私たちは同時に、主なる神さまを偶像としてはならないことも、確認しなければなりません。32章で記されている金の子牛がそうです。また現在においても、カトリック教会などにおけるマリア像や聖画なども、偶像と化することから、改革派教会ではそうしたものを教会に置くことはしません。銀の神々、金の神々と語られていきますが、人間的に価値あるもので像を作ることは、人間的な権威を与えることとなり、主はことごとく禁じておられるのです。
 ここで語られているのは、造られた像のみでありますが、神格化した人間もまた同様に神となりうることを、私たちは忘れてはなりません。現在の北朝鮮がそうです。また日本は、戦時中、天皇を神としたのです。そしてキリスト教会もそれを受け入れたのです。キリスト者で歩み続ける以上、偶像との戦いは付きまとうのです。
 生きて働き、イスラエルを救い、私たちを罪から救い出し、永遠の生命をお与え下さる主なる神さまのみを、私たちは礼拝し、賛美しなければなりません。

V.祭壇の建設
 もう一つの規定が記されています。祭壇の建設についてです。現在でいう会堂建築につながることですが、ここでも中心は、神礼拝とはいかなるものかということです。会堂建築においても、一番重要な課題は礼拝堂でどのような礼拝が捧げられるかということです。旧約の時代ですから、まだイエス・キリストの十字架の贖いが成し遂げられておらず、動物による生け贄が行われていました(参考:幕屋建設の指示、祭壇の建設の指示27:1〜8)。祭壇は石そのものか土で造ることが要求されます(27章はアカシア材)。違いがありますが、主が語ろうとされる意図は一つです。生け贄は、キリストの生け贄を指し示す影であり、本体ではありません。旧約に生きる彼らも、キリストの十字架によって罪が赦されたのです。それを生け贄は指し示すものに過ぎません。つまり、祭壇に献げられる生け贄はあくまでも一時的なものであり、メシアであるイエス・キリストを礼拝することが求められるのです。一方、切り石で祭壇を造るは、偶像化することが危惧され、禁じらるのです。
 最後の祭壇の階段について付け加えられています。祭壇には、ある程度の高さがあり、人々の見える場所で生け贄が献げられていたのでしょう。唐突に記されているように思えます。しかしこれも神礼拝に関係することです。神礼拝をする時、私たちは霊的に整えること、礼拝に出席するための服装を整えることが求められます。ここで語られていることは服装を整えることです。つまり神礼拝にふさわしい服装とは、自分が目立つような服装ではなく、主の御前に謙虚になり、神の御言葉を聞くことに集中することが出来るものでなければなりません。主の御前に立つことを真剣に求め続けるならば、最もフォーマルな服装が求められます。では階段と服装に何の関係があるのか? 階段を上り下りすることにより、祭服の裾がはだけ、隠し所があらわになることがあるのです。祭司は、身だしなみには注意をするはずでありますが、不要な性的な欲求をもたらすことがないよう、神礼拝の場では注意しなければなりません。ここでの規定は、そうした主からの助言です。

                                     (2009.11.22)
COPYRIGHT(C) 2007 日本キリスト改革派大垣教会  ALL RIGHTS RESERVED



戻る