【礼拝説教】  「信仰の土台」  辻 幸宏牧師

創世記7章、マタイ24:36-44

 今日は創世記7章から「信仰の土台」との説教題において御言葉から聞こうと願っています。ノアの時代の洪水の場面の続きとなりますが、7章の始めでも、改めて主はノアに対して召しの言葉を語り、箱舟を造るように命じております。つまり主が全てを裁いて滅ぼす決意はなみなみならぬものなのです。つまり地上に住む人々は、創造主であり、全ての統治者である主なる神様を忘れ、自分の思いで暮らしていたからです。
 その様な時代の中、主はノアに対して「あなただけは私に従う人(義人)だ」と語られます。6:9では「無垢な人」と語られています。主は彼の行動を見ておられ、正しいと判断されたから義と認められたのではないのです。主が義と認められたからこそ、ノアは主が命じられたことを、疑うことなく信じて、その通り実行していくのです。つまり、主によって認められ、信仰が与えられた者というのは、周囲の人々が何を行い、どの様に思っていようとも、主がお命じになられた言葉に聞き従う者へとされるのです。ノアに取りましても、全く洪水の心配のない陸地に住んでおり、そこで船を造っていたのです。人々からは馬鹿にされたことでしょう。ノアが船を完成させ、船に乗り込もうとする時に、家族以外の誰一人として船に乗り込まなかったことからも、確かでしょう。
 神様を信じ、聖書の御言葉に聞き従う時、この世においては非常識の如くに扱われることもあります。天地創造を信じることも、進化論が大手をふるっているため、あざ笑われるだけでしょう。主イエスの奇跡、処女降誕、十字架の死からの復活、昇天も同様でしょう。つまり大多数が正しいかと言えば、大多数だからそれが正しいとは言えないのです。世の中では、大多数を味方につけることにより、自らの正当性を主張しようとします。しかし主の御前に正しく歩むことは、得てして他の人たちから疎外されることもあるのです。
 しかし、主は私たちが神様を信じて、神様の御声である聖書に聞き従う者へとお導き下さいます。マタイ福音書24章には、主の日、つまりキリストの再臨と最後の審判は、ノアの時代と同様に突然訪れると記します。他人からどの様に見られていようとも、主なる神様の御言葉に聞き従うことにより、主なる神様の救いに招かれるのです。だからこそ、私たちは、信仰の目を覚ましていることが、今求められているのです。そして、世の中の常識といわれるような誘惑に心動かされないために、私たちは主の御言葉に聞き続け、揺るぎない信仰を築き続けることが求められているのです。
 そうした中、ノアは、主が命じられた通り、箱舟を造り、動物たちを船に乗せていきます(10〜16)。ここで動物たちについて「すなわち命の霊をもつ肉なるもの」(15)と言い換えています。主なる神様にとって、人と同様に、動物や鳥たちもまた、主の創造物として、主にとって尊い存在であり、命の霊をもつものと語られるのです。主にとって全ての創造物が尊いのです。何一つ疎いものはないのです。
 しかし、主はノアに命令され、船の外にいる全てを滅ぼされます(21-23)。そしてノアとその家族、一部の動物たちのみが残されます。彼らは、40日40夜太陽の光を見ない豪雨の中、そして150日間、海に漂流します。その間、ノアは自らを初めとする人類の持っていた罪の悔い改めと、それでもなお主によって生かされていることに対する感謝の思い、そして主への信仰が増し加えられることが、いやがおうもなく出てくるのです。
 昨年来の洪水や新潟の地震、スマトラ沖地震と津波。主は、それらの災害を通して、ノアの時代に洪水を思い出し、そこにあった人の罪が、今の私たちにもあることを指し示し、悔い改めと主への信仰を新たにすることを、私たち求めているのです。主は、ノアの時代のように全てを滅ぼし尽くすことの出来るお方です。しかし全てを滅ぼし尽くすことなく、私たちが罪の悔い改め、主への信仰を新たにすることを待っていて下さっているのです。
 主なる神様にとって、すべての主の霊が注がれた被造物が尊く、特に人間は特別な存在であり、あなたは尊いのです。主の救いにあることを感謝して、主に従っていきましょう。


                                              (2005.1.30)
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