【礼拝説教】  「天に届く塔と混乱」  辻 幸宏牧師

創世記11章、使徒2:1〜13

11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
11:2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっ
    くいの代わりにアスファルトを用いた。
11:4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされ
    ることのないようにしよう」と言った。
11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし
    始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
11:7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬ
    ようにしてしまおう。」
11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラ
    ル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。


 ノア時代に全ての民が裁かれ、ノアの家族のみが主の救いに与り、救いを得ました。そして、主はノアを筆頭として、セム・ハム・ヤフェトを通して、全世界に民を宿らせて下さいました。しかし11章に入ると、主によって救われた民たちが、改めて主から離れ、否、主に成り代わろうとする姿が語られていきます。
 10章において、言語が分かたれたことも記されていますが(10:5,20,31)、バベルの塔が建設された以降のことであり、それ以前は、「世界中は同じ言葉」(1)を用いていたのです。バベルの町については、10:8〜10にて語られています。つまりバベルの町は、最初の勇士となり王となったニムロドから来ているのです。勇士・王とは、彼らが人々を支配していたことを語っているのです。そうした人々の上に立つ権力欲を持つ者から出たバベルの町において、天まで届く塔を建てようと動き出すのです。つまり高い塔を建てることにより、自らの力を人々に知らしめるという思いが「有名になろう」との思いがあり、同時に自らが神様に成り代わろうとする思いが「天にまで届く」という言葉に秘めているのです(4)。
 従って、彼らが高い塔を建てようと動き出した時、主なる神様に代わる別の神様を求めるために偶像を作ろうとしたのではありませんでしたが、こうした人間的な欲望は、自分に代わる自らが作り出した神によって満たそうと変化を遂げていくのです。つまり、無神論において自らが神となることと、自らの代わりに偶像を建てることは、生きて働いておられる主なる神様を忘れ、捨てると言うことからすれば、まったく同じ方向性を持っているのであり、人が塔を建てるということは、その第一歩を踏み出したのです。
 しかし、人のそうした行為を見ておられた主なる御神様は、天から降りてこなければなりませんでした(5,7)。人の英知を極めた塔であっても、それはバベルの時代であれば、せいぜい数十メートル、現在の科学技術の英知を極め、たとえ数千メートルのものです。ハッブル望遠鏡で観測出来る範囲は、格段と広がり、何十億光年という広がりが分かるようになってきましたが、それでもなお主なる神様に取りましては、わざわざ降りて来なければならない距離なのです。主なる神様の全能は、人間の力に比べることが出来ない位に大きなものであり、無限の大きさを持つのです。この事実を私たちは忘れてはなりません。
 6-7節は人々に対する主の警告の言葉です。私たちは主の被造物に過ぎず、主の御前では非常に小さな存在なのです。主は無限の広がりがあり、全能であられます。だからこそ、私たちは、主なる神様の御言葉に聞き従うことが、求められているのです。
 現在社会で人は、主なる神様を忘れ、自らの力で何でも出来ると思っています。生活が便利になり、何不自由なく暮らすことが出来るからでです。しかしこれは、まさしくバベルの時代に塔を建てた人々と全く同じなのです。主なる神様は、天から私たちを見ておられ、地上に満ちる罪に警告を語っておられるのです。バベルの時代に全世界の人々の言葉を分け混乱させられたように、自然災害・エイズ・SARS・新型インフルエンザ・・により、人々が主の御力を知り、罪を悔い改め、主の信じるように求めておられるのです。
 主は言葉を分かち人々を混乱におとしめる一方、セムの子孫に救いを約束して下さいます。セムからアブラハム、アブラハムからイサク、ヤコブ、そしてヤコブがイスラエルとなり12部族を形成し、救い主イエス・キリストを、私たちに約束して下さいます。そして主はこの救いの約束を、イエス・キリストの十字架の死と復活により、人々の救いを勝ち取って下さいました。この主の救いを受け入れる者は、皆救われるのです。
 そして聖霊降臨時(使徒2章)において、人々が同じ言葉を聞き、主を信じたように、主による救いが完成し、全ての神様を信じる者が神の国に集められる時、分かたれた言葉は改めて一つとなり、主の栄光を称え、主を讃美するものとされるのです。それは救いの成就により、地上の全ての罪が裁かれ、サタンが滅んだからこそ成し遂げられた祝福です。主なる神様を信じる者はすべてこの神の国に招かれています。だからこそ、私たちは主なる神様を信じると同時に、世界に散らされた人々に主の救いを呼びかけ、一つとなるように求められているのです。
                                              (2005.2.27)
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