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【礼拝説教】  「結婚と主の導き」  辻 幸宏牧師

創世記29章1〜30節

29:1 ヤコブは旅を続けて、東方の人々の土地へ行った。
29:2 ふと見ると、野原に井戸があり、そのそばに羊が三つの群れになって伏していた。
   その井戸から羊の群れに、水を飲ませることになっていたからである。ところが、
   井戸の口の上には大きな石が載せてあった。
29:3 まず羊の群れを全部そこに集め、石を井戸の口から転がして羊の群れに水を飲ませ、
   また石を元の所に戻しておくことになっていた。
29:4 ヤコブはそこにいた人たちに尋ねた。「皆さんはどちらの方ですか。」
   「わたしたちはハランの者です」と答えたので、
29:5 ヤコブは尋ねた。「では、ナホルの息子のラバンを知っていますか。」
   「ええ、知っています」と彼らが答えたので、
29:6 ヤコブは更に尋ねた。「元気でしょうか。」「元気です。もうすぐ、娘のラケルも
   羊の群れを連れてやって来ます」と彼らは答えた。
29:7 ヤコブは言った。「まだこんなに日は高いし、家畜を集める時でもない。
   羊に水を飲ませて、もう一度草を食べさせに行ったらどうですか。」
29:8 すると、彼らは答えた。「そうはできないのです。羊の群れを全部ここに集め、
   あの石を井戸の口から転がして羊に水を飲ませるのですから。」
29:9 ヤコブが彼らと話しているうちに、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来た。
   彼女も羊を飼っていたからである。
29:10 ヤコブは、伯父ラバンの娘ラケルと伯父ラバンの羊の群れを見るとすぐに、
   井戸の口へ近寄り石を転がして、伯父ラバンの羊に水を飲ませた。
29:11 ヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。
29:12 ヤコブはやがて、ラケルに、自分が彼女の父の甥に当たり、リベカの息子で
   あることを打ち明けた。ラケルは走って行って、父に知らせた。
29:13 ラバンは、妹の息子ヤコブの事を聞くと、走って迎えに行き、ヤコブを
   抱き締め口づけした。それから、ヤコブを自分の家に案内した。ヤコブが
   ラバンに事の次第をすべて話すと、
29:14 ラバンは彼に言った。「お前は、本当にわたしの骨肉の者だ。」
29:14 ヤコブがラバンのもとにひと月ほど滞在したある日、
29:15 ラバンはヤコブに言った。「お前は身内の者だからといって、ただで働くことはない。
   どんな報酬が欲しいか言ってみなさい。」
29:16 ところで、ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。
29:17 レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。
29:18 ヤコブはラケルを愛していたので、「下の娘のラケルをくださるなら、
   わたしは七年間あなたの所で働きます」と言った。
29:19 ラバンは答えた。「あの娘をほかの人に嫁がせるより、
   お前に嫁がせる方が良い。わたしの所にいなさい。」
29:20 ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、
   それはほんの数日のように思われた。
29:21 ヤコブはラバンに言った。「約束の年月が満ちましたから、わたしのいいなずけと
   一緒にならせてください。」
29:22 ラバンは土地の人たちを皆集め祝宴を開き、
29:23 夜になると、娘のレアをヤコブのもとに連れて行ったので、
   ヤコブは彼女のところに入った。
29:24 ラバンはまた、女奴隷ジルパを娘レアに召し使いとして付けてやった。
29:25 ところが、朝になってみると、それはレアであった。ヤコブがラバンに、
   「どうしてこんなことをなさったのですか。わたしがあなたのもとで働いたのは、
   ラケルのためではありませんか。なぜ、わたしをだましたのですか」と言うと、
29:26 ラバンは答えた。「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ。
29:27 とにかく、この一週間の婚礼の祝いを済ませなさい。そうすれば、妹の方も
   お前に嫁がせよう。だがもう七年間、うちで働いてもらわねばならない。」
29:28 ヤコブが、言われたとおり一週間の婚礼の祝いを済ませると、ラバンは
   下の娘のラケルもヤコブに妻として与えた。
29:29 ラバンはまた、女奴隷ビルハを娘ラケルに召し使いとして付けてやった。
29:30 こうして、ヤコブはラケルをめとった。ヤコブはレアよりもラケルを愛した。
   そして、更にもう七年ラバンのもとで働いた。


 エサウによって追われたヤコブがいよいよラバンの家に到着しました。ここでヤコブがラバンの家に行く場面は、24章でアブラハムがイサクの結婚相手を見つけるために僕をラバンの家に遣わした場面と、比較されます。しかし結果は、非常に異なって来ます。状況の違いは一目瞭然です。アブラハムの僕がラバンの所に来た時に、高価な贈り物を多く携えていた(24:10)のに対して、ヤコブはエサウから逃れるために、着の身着のまま、何も持たずにラバンの家に到着します。しかし決定的な違いは備えです。アブラハムの僕は、まだ町外れの井戸の傍らで主に祈り、ラバンの家に向かいます(24:12-14)。それに対し、ヤコブは心の準備、祈り一つ献げることをしていません。
 さらにもう一つ、ラバンの所の井戸に到着した時の態度です。アブラハムの僕は、丁重に語りかけ、ラバンや家族、地域の人々を気遣います。しかしヤコブは、全く初めて出会った人に対して指示を出します(7)。確かにヤコブも羊飼いであり、羊の扱い方を十分知っていたことでしょう。しかし場所が異なれば、習慣も仕事の行い方も違います。自分が行ってきたことは通用しません。郷に入っては郷に従えと語られる通り、地域地域で生活が異なります。教会においても、各教会毎に雰囲気も違えば、リズムも異なります。自分が今まで行ってきたことが正しいからと、押しつけてはなりません。自分が正しいのであれば、その場をじっくり観察して、その場に相応しいやり方を示していく必要があります。
 この後、ヤコブはラケルと出会い、ラケルを愛します。人間的な魅力を覚えたのです。宗教改革者ルターは、宗教改革を初めて、そして結婚を奨励します。修道院を開放して、それぞれ結婚をさせていきます。その中にあって彼がどの様に結婚したのかと言えば、修道女が14人いたのですが、祈りつつ、最後まで結婚相手が見つからなかった最後の一人と結婚したのです。彼は祈りつつ、そのことを決めていたのです。ですから結婚相手を求めようとする時、ある程度外見や意思疎通がとれるかなども問われますが、それと同時に、主がお与え下さろうとしている伴侶であるか、主に祈り求めつつ、主からの答えに聞き従おうとすることが求められるのです。それは特に相手がクリスチャンでなければ、より慎重でなければなりません。しかしヤコブは祈り一つなく、ただ人間的に判断したのです。
 一方ラバンもヤコブが来たことにあまり良い思いをしていません。アブラハムの僕がイサクの妻として妹リベカを迎えに来た時は、高価で多くの品を携えていました(24章)。しかしヤコブは何も持っていません。ですから身内としてではなく、一人の雇い人としてとしか見なかったのです。だからこそ、働きのための報酬を出すことを約束したのです。その時ヤコブがリベカと結婚するために7年間、労働者として働くことを願い出、それを受け入れます。7年間の労働は、使う側としてもとても好条件であったことでしょう。しかしそれだけでなく、ラバンは婚礼の夜、ラケルではなく姉レアをヤコブのもとに送ります。「姉から結婚させなければならない」というメンツを保とうとする思いと同時に、ヤコブをさらに労働者として働かせる魂胆があったのです。ヤコブが信仰抜きにラバンの家に転がり込んできたのと同様に、ラバンもアブラハムに繋がる者でありながら主に対する信仰は見あたらず人間的な欲望によって生きていたのです。これは信仰が世俗化した状況です。
 ヤコブはラバンの要求を受け入れ従います。自らの罪の刑罰が支払われるかの如く、主はヤコブに対して、ラバンの下で14年、否20年以上仕えることを命令されされます。そしてラバンの仕組んだ結果ですが、ヤコブは二人の姉妹と結婚することとなります。旧約聖書においては、カインの子孫メレク(4:19)がそうであったように、複数の女性と結婚することは認められています。しかしこれは罪の結果であり、本来神が求められていた結婚からはほど遠いものです。しかもここでヤコブは二人の姉妹と結婚します。レビ18:18には、姉妹と結婚することが重罪であると語られています。これは後に与えられた律法ですが、彼自身にも律法が与えられており、このことに対する罪意識が示されていたのです。
 この様な状態での結婚であり、家庭の中でも互いの感情が複雑に入り組みます。姉レアは、妹ラケルがヤコブに気に入られていることを知っており嫉妬心を持ちます。二人の姉妹の関係も正常を保つことは出来ません。この結果姉妹同士が意地を張り、子供を産み合い、結果としてヤコブは、レアとラケル、それぞれの召使いであるビルハ、ジルパから12人の息子たちが生まれてくることとなるのです(29:31-30章)。そして結果として、主がアブラハムに約束されたような繁栄を、ヤコブの子供たちを通して実現していくのです。
 ヤコブは自らの不信仰の故、主の懲らしめがありラバンに仕えることとなりました。しかし主はなおも、ヤコブをイスラエルとして祝福して下さり、アブラハムへの約束、そして28章での約束を成就して下さいます。主は、不信仰者に対して懲らしめられ、自らの罪を悔い改め主に立ち帰ることを求められます。しかし同時に主は、主が召して下さった神の子を、神様の祝福に入れて下さり、主の御計画を彼を通して成就して下さるのです。
 私たちも、主によって召されております。ヤコブのように信仰がなくても、主が導いて下さると開き直るのではなく、信仰が継承され世俗化されている現在だからこそ、今も主が共にいて下さり、見守り、導いて下さっている。そして約束をお与え下さる。その確信に満たされ、主の御言葉に聞き従った歩みをしていきたいものであります。

                                            (2005.11.6)
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