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【礼拝説教】  「メシアに繋がる祝福」  辻 幸宏牧師

創世記49章1〜12節

  1 ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。
「集まりなさい。わたしは後の日にお前たちに起こることを語っておきたい。
2 ヤコブの息子たちよ、集まって耳を傾けよ。
 お前たちの父イスラエルに耳を傾けよ。

3 ルベンよ、お前はわたしの長子
 わたしの勢い、命の力の初穂。
 気位が高く、力も強い。
4 お前は水のように奔放で
 長子の誉れを失う。
 お前は父の寝台に上った。
 あのとき、わたしの寝台に上り
 それを汚した。

5 シメオンとレビは似た兄弟。
 彼らの剣は暴力の道具。
6 わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。
 わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。
 彼らは怒りのままに人を殺し
 思うがままに雄牛の足の筋を切った。
7 呪われよ、彼らの怒りは激しく
 憤りは甚だしいゆえに。
 わたしは彼らをヤコブの間に分け
 イスラエルの間に散らす。

8 ユダよ、あなたは兄弟たちにたたえられる。
 あなたの手は敵の首を押さえ
 父の子たちはあなたを伏し拝む。
9 ユダは獅子の子。
 わたしの子よ、あなたは獲物を取って上って来る。
 彼は雄獅子のようにうずくまり
 雌獅子のように身を伏せる。
 誰がこれを起こすことができようか。
10 王笏はユダから離れず
 統治の杖は足の間から離れない。
 ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。
11 彼はろばをぶどうの木に
 雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。
 彼は自分の衣をぶどう酒で
 着物をぶどうの汁で洗う。
12 彼の目はぶどう酒によって輝き
 歯は乳によって白くなる。



 韓国に一週間行っており、昨日、無事に帰ってくることが許されました。韓国は今、国民4800万人の1/3はクリスチャンです。現在、世界で最も祝福された国民の一つでしょう。しかし韓国教会の苦難の歴史を忘れてはなりません。1910年に日本が日韓併合を行い、朝鮮半島を植民地化し、45年に戦争が終了するまで、国、言葉、名前、信仰等が奪われたのです。日本の教会の多くが戦時中神社参拝を行う罪を犯したのに対し、朝鮮半島の教会では、神社参拝を徹底的に偶像崇拝として拒否し、戦った人たちがおり、彼らを中心に形成されたのが、高神派です。神社参拝を拒否した中心とされているのが、朱基徹牧師です。この9月に信徒研修会において息子の朱光朝長老に証しをしていただきますが、朱基徹牧師は殉教するまで信仰を貫いたのです。
 今回、私は高神派の大学生の全国修養会に参加させて頂きましたが、ここでもやはりこの創立当初のことを確認しつつ、自分たちの信仰のアイデンティティーを確認していました。地上において苦しみを受けようとも、信仰の戦いを行うことが出来るのは、神の国にあって与えられる本当の祝福を知っているからこそです。そうした教会の姿こそ、成長の一要因にあることは間違いないかと思います。神の祝福は、原因があり、その因果応報としてあるものでありません。しかし、韓国教会の姿を見る時、私たちの信仰を省み、私たちの信仰の姿を問い返さなければならないのではないかと実感させられてきました。

 ところで今日与えられた御言葉では、ヤコブが子供たちに祝福を語ります。
 ルベンは、イスラエルの長子としての誕生します(3)。一番の生命力があり、12人のリーダーとなるべき賜物が与えられます。しかしルベンは罪を犯します(37:18,31-32)。ルベンはことを丸くおさめようとしますが、ここにリーダーシップをとって、兄弟たちに説得させることはありません。姑息なのです。主がお与え下さった賜物を用いないこと、ここに罪が潜んでいるのです。さらに父の側女ビルハの所に入って寝た罪が指摘されます(49:4,35:22)。ビルハは母レアの側女であり、自らが優位な立場にあることから行った恥ずべき行為です。こうした行為はイスラエル全体で繰り返されます。こうしたことの警告となおも主の祝福があることが語られていきます。
 続けて、シメオンとレビが一緒に語られます。このことは、彼らの出生に遡ります(29:33-34)。レアは妹ラケルとヤコブを取り合っている最中です。その中にある人間的な闘争心、それが兄弟たちにも受け継がれているのです。彼らは剣の暴力が非難されます(5、参照34:25-29)。ヤコブは彼らに呪いの言葉を語ります。レビは、後に祭司として用いられます。しかしその実は、主によって約束された嗣業の土地を受け継ぐことが許されないのです。重要な働きに用いられつつも、屈辱をも、嗣業の土地がないことで受けるのです。またシメオンについても言えます。イスラエルの12部族に対する祝福は、モーセが嗣業の土地を前に(申命記33章)、改めて語られます。ここにおいて、シメオンの名はありません。シメオンは、弱く、消滅の運命をたどるのです。武力にあって、一時、地域や世界を征服出来たとしても、主の御前に立つ時、それは裁かれ、消滅させられるのです。主の御前にあって、武力を誇ることは非常に愚かな行為なのです。
 ヤコブの祝福において、ユダについては特別なものとなっています。ユダこそが王笏(新改訳「王権」)を嗣ぐ者です。イスラエルが王を要求した時、ユダ族からダビデが立てられ、救い主(メシア)であるキリストが誕生します。その預言としての祝福が語られています。しかしこの祝福は、ユダが他の兄弟たちよりも優れていたからではありません。38章における息子の嫁タマルとの行為は、許されるべき行為ではありません。しかし、主はユダを、救い主の家系として、お選びになられたのです。これは主の決定です。ユダに与えられた最大の祝福であると同時に、ユダ族としてお生まれになられるイエス・キリストを通して、イスラエル全体に、そして、霊的なイスラエルに属するクリスチャンである私たちに対して、最大の祝福として、罪の赦しと永遠の生命に与る救いが与えられているのです。
 私たちは、この主の一方的な恵みと祝福に生かされているのです。キリストによってこそ、私たちは真のぶどうの木である神さまに繋がることが出来るのです。イエス・キリストの十字架の贖いによって、永遠の生命の輝きを、白い歯を取り戻すことが出来るのです。私たちは、このイエス・キリストによらなければ救いはありません。本来ならば、ルベン、シメオン、レビの如くに厳しく叱責されるべき存在であった者が、救いに導かれているのです。だからこそ、私たちは、自らの罪を省み、繰り返さないよう、また日本の多くのクリスチャンが戦中犯した過ちを繰り返さないよう、真の悔い改めと主の救いの希望の信仰生活を歩み続けることが求められているのです。

                                            (2006.7.9)
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