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【礼拝説教】  「試練を喜ぶ」  辻 幸宏牧師

ヤコブの手紙1章2〜8節

  2 わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。3 信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。4 あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。5 あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。6 いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。7 そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。8 心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。



序.なぜ日本人は努力しないのか?
 現在の日本社会では、「楽をして儲ける」、「苦しいことは行わない」風潮があり、3Kと呼ばれる「きつい」、「汚い」、「危険」と言った職業には嫌われています。なぜか? 一つには、苦しまなくても生活できるからです。格差が広がっても、普通に暮らしていける人たちが多くいるからです。子どもが働かなくても、暮らしていける状況にあるのです。だからこそ、あえて苦難を選び取ることはなく、避けて通るのです。
 もう一つ、今、年金問題で騒がれていますが、何十年と努力してきたことが報われない、皆がこの問題にうすうす気付いているのです。

T.主の御支配と試練
 こうした時代に、「試練を喜べ」と語っても、多くの人たちは耳を閉ざすでしょう。しかし私たちは安易に世の中に流されることなく、主の御言葉に耳を傾ける必要があります。
 ところで試練と言っても様々な種類の試練があります。仕事上のトラブル、失敗、人間関係・・。しかし、主を信じることによってもたらされる試練をもあります。キリスト者は不正をしてまで金儲けをしません。その時に信仰の故に迫害も生じるのです。特に、ヤコブが手紙を書いている頃、キリストが天に昇られてから20年が経っているのですが、ユダヤ人からは異端者として迫害を受け、異邦人からも迫害が始まっていたのです。そうした状況の中、ヤコブは、苦しみ悩んでいるキリスト者に、励ましの手紙を語っているのです。
 私たちは、弱さの故に、試練・苦しみがあれば、それを避けようとします。しかし、そうした行為は、私たちの心の中の野心・ねたみ・欲望等の様々な罪から生じているのです。主は、私たちが傲慢になって主の御前に罪を繰り返すことがないように、試練をとおして、主の御前にある罪を示しておられるのです。

U.試練は聖化のため
 ところで私たちは、「試練」を不幸なことであると考えます。しかしヤコブは、試練を喜びと思いなさいと語ります。発想の転換が必要です。人は、苦難があっても、それを乗り越えれば報いがあるとすれば、がんばることが出来ます。それが見えないから逃げるのです。しかし主は私たちに信仰を与え、罪の赦しと救いをお与え下さいました。そのためにキリストは十字架に死に、死からの復活を遂げられたのです。つまり私たちは、今の苦しみを超えて与えられる祝福、つまり永遠の生命に目を向けなければならないのです。ここに試練から希望も生じるのです(ローマ5:3〜6)。つまり、試練に忍耐することは、私たちの信仰が試されていることでもあります。
 試練は、信仰を訓練し、金属が精錬され純粋になっていくように、私たちは試練を通して信仰が訓練され、聖化されているのです(参照:ペトロ一1:5〜7)。
 つまり、私たちが試練を喜ぶことが出来るのは、試練を乗り越えることにより、さらに主なる神さまによる救いがさらに揺るぎないものとなり、私たちが神の民に相応しい者として聖化されていることを知っているからです。

V.信仰を試される試練
 ヤコブは1:5で「知恵」が必要であると語ります。これは、霊的な洞察力です。試練を乗り越えるために、何もせず忍耐してその試練が過ぎ去るのを待っていればよいのではないのです。主が試練をお与えになるのであれば、主はそれを乗り越える力もお与え下さいます。だからこそ、全てを与え、全てを取りのけられる主なる神さまを信じ、疑うことなく、主に全てを委ねて祈り求めることが求められているのです。
 疑う者は、心が定まらず(二心のある人)、生き方全体に安定を欠く人です。つまり、神さまを信じている部分と疑っている部分があるのです。あるいは、主なる神さまを信じている部分と、他の神々を信じている部分があるのです。天秤に計る状態です。
 ヤコブが「試練をも喜べ」と語る時、まさに私たちの信仰が問われてくるのです。主は、私たちを、既に、イエス・キリストの十字架によって救って下さっているのです。そして私たちは神の子とされているのです。天国における永遠の生命が約束されているのです。そうであるならば、私たちは、主によって与えられた試練をも、主が益として用いて下さることを信じ、主に委ねて歩んでいこうではありませんか。


                                     (2007.6.10)
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