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【礼拝説教】  「試練と誘惑」  辻 幸宏牧師

ヤコブの手紙1章12〜15節

  12 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。13 誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。14 むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。
1:15 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。



 ヤコブは苦しみの中にある兄弟姉妹に対して、励ましの手紙を語っています。「試練」、「誘惑」という二つの語は、ギリシャ語原典ではどちらも「試み」という一つの語です。しかしヤコブは二つの語を、使い分けます。

T.試練
 ヤコブは、まず「試練」について語ります。「試練」を広辞苑で調べてみますと、「信仰・決心・実力の程度を試み試すこと。また、そのための苦難」とあります。誰が、私たちの信仰を試すのか? 主なる神さま御自身です。なぜ? それは信仰者・神の民とされた私たちの信仰が養われ、神の子に相応しい者とされるためです。そのため、ヤコブは1:12 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからですと語ります。このことを示す例がアブラハムに示されています。主は100歳になるアブラハムにイサクをお与え下さいました。そしてこのイサクを通して、イスラエルが星のように多くなり、祝福されることを約束されていました。しかし主は同時に、アブラハムにこの約束の子イサクを献げるように命じられます。主はアブラハムの信仰を試されたのです。しかし、アブラハムは結果を知らずに主に委ね、イサクを主に献げます。アブラハムの信仰は主によって認められ、祝福されます(創世22章)。
 また聖書は語ります。1コリント10:13 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。主は私たちに試練を与えられると同時に、支えて下さいます。そして、親が子に対して、耐えられないことを強いられることがないように、耐えられるもの、乗り越えることが出来る試練を与えられているのです。

U.誘惑
 一方誘惑は、神からではなく、他人、強いては悪霊(サタン)がもたらすものです。そのためヤコブは、「神に誘惑されている」と言ってはなりませんと語ります。このことは、神さまと神の子とされた私たちとの関係から確認できます。主は天地万物を創造され、今なお全世界を治めておられます。そして私たちを罪の死から救い出し、永遠の生命に導いて下さいます。神さまが私たちを悪い道に誘い込むことはなく、正しい道をお与え下さるのです。従って、人を惑わせ道を踏み外させるようなことを、主が行うことはないのです。
 悪霊は私たちの生活・信仰を誘惑します。偶像・異端、背教に対する働きかけです。従って「試練」が外的・肉体に及ぼす苦しみであるのに対して、「誘惑」はおもに内的・信仰に及ぼす苦しみです。もちろん、人を騙す詐欺のような外的苦しみもありますが..。
 そのため、私たちは誘惑をはねのける信仰が求められます。そしてヤコブは、14 むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのですと語ります。私たちはこの弱さを自分自身が持っていることを知っていなければなりません。自分で戦うのではなく、自分では戦い得ない自分がいることを知らなければなりません。そのために、私たちは主に祈り続け、主の助けを求めなければなりません。御言葉に聞き続け、どのような誘惑が待ちかまえているか、知らなければなりません。御言葉と祈りにより、私たちは誘惑に遭っても、耐え抜き乗り越える信仰が与えられるのです。
 一方ヤコブは、誘惑が悪霊によってもたらされることを語りません。それは、誘惑された者が、誘惑に負け罪を犯した時、サタンに責任転嫁して自らの責任を認めないからです。この例が、アダムとエバにもたらされた蛇の誘惑です(創世記3章)。蛇が女に善悪の知識を知る身を食べることにより、目が開け、神のようになれると誘惑します。女が食べ、そして男も食べます。そのことを、主なる神さまが知った時、アダムは女の責任にし、女は蛇の責任にします。しかし、アダムは「食べたら、死ぬ」との主の警告を受けていたのです。しかし、アダムも女も、それを無視して取って食べたのです。ここに彼らの罪があり、彼らの責任があります。
 誘惑に屈指ず、それをはねのける信仰が私たちに求められています。しかし、その一方、自分の力では誘惑に戦うことは出来ない弱さも認めなければなりません。

 「試練」が主によって与えられるが、主を信じることにより、それを乗り越える力が主から与えられるように、「誘惑」もまた、私たち自身で立ち向かうのではなく、主が語られる御言葉に聞き、主に委ねて祈り求めることにより、主は守り、戦いに打ち勝つ力をお与え下さいます。主は私たちに、キリストの十字架による罪の赦しと、神の国における永遠の生命をお与え下さっています。だからこそ、この朽ちない宝である永遠の生命の希望に満たされ、試練に耐え、誘惑に打ち勝つ歩みをおこなっていこうではありませんか。

                                     (2007.7.1)
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