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【礼拝説教】  「話しを聞く」  辻 幸宏牧師

ヤコブの手紙1章19〜21節

  19 わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。20 人の怒りは神の義を実現しないからです。21 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。


序.
 今日の説教題は、倫理的・道徳的な表題となっていますが、私たちは主がヤコブを通してお語り下さった信仰の言葉として、今日の御言葉に耳を傾けることが求められています。

T.話すのに遅くしろ
 私たちは、社会生活を行って行くにあたって、様々な場面で、自分の意見を言うことが求められます。そして現在では自己主張することが求められています。しかし主がここで問題とされていることは、ここで私たちが語る言葉です。私たちが咄嗟に口から発する言葉のどこに問題があるのか考えなければなりません。
 マタイ福音書15章でファリサイ人と律法学者は、主イエスのもとに来て、弟子たちが食事の前に「手を洗わない」ことを咎めます(2)。このことに関して、主イエスは口に入るものが人を汚すのではなく、口から出てくるものが人を汚すのであり、私たちの口から発せられる言葉にこそ罪があることを語ります(15:10-11,16-20)。
 ですから、ヤコブが「話すのに遅く」と語るのは、考えずに自分の意見を語ることで、私たち人間の本来持っている罪が、口かは発せられることを語っているのです。つまりすぐに語ることによって罪が生じることをしないために、最初は黙っていろと語るのです。

U.聞くのに早くしろ!
 一方ヤコブは、「聞くのに早く!」と語ります。ここで問題となるのは、「誰」の話しを聞くかです。一つには、もちろん、会話をしている相手の話しを聞くことは必要です。しかしここでもう一つ考えておかなければならないことは、神の言葉に聞くことです。実はこちらの方が重要なのです。
 最初に「人の話しを聞く」ことに注目します。「人の話しを良く聞きなさい。人の話しを聞く時は、その人の目を見なさい」。こうしたことを家庭で子どもたちに語ることで、社会的な常識です。相手の言葉の真意を聞くことが求められます。それはその話しが、主の御言葉(真理)に一致しているか否かの判断が求められているのです。
 しかしここで何よりも求められていることは、主の御言葉に聞くことです。先程、私たちの内にあるものは、罪であることを御言葉から確認したのですが、私たちが人の前で話しを行おうとすれば、こうした罪を、主がお語りする御言葉によって修正することが求められるのです。つまり、「聞くのに早く、話すのに遅く」あるべきだと語られるのは、まず御言葉に聞き、主によって示された真理に照らされ、自らの意見を正した上で、人に対しても語ることが求められているのです。

V.御言葉によって成長するキリスト者となれ!
 「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」(21)
 私たち人間の本来持っているもの、それはあらゆる汚れであり、溢れるほどの悪であるとヤコブは語ります。神学的な言葉を語れば、全的堕落です。私たち人間は、皆が、生まれながらにして罪(原罪)を持っており、魂と肉体の全てが、全面的に汚れているのです。そのため、口から発せられる言葉のみならず、行いにおいても、心の中にあっても、罪が繰り返されていくのです。こうした罪を持ったままでは、私たちは良き行いも、正しいことを語ることも出来ないのです。そのために私たちは、御言葉に聞くことが求められるのです。御言葉によって真理が示されることにより、イエス・キリストの十字架によってこの私たちの罪の贖いが行われ、罪赦され、神の救いに生きる事が求められるのです。そして私たちはキリストによって罪赦された者として、主が語られる御言葉に聞き、物事を判断することが求められているのです。
 マタイによる福音書13章には種を蒔く人の譬えが語られています。良い土地に種が蒔かれ、根が張り、立派に成長するように、私たちも御言葉によって養われ、主が語られる御言葉を実践し、語ることが求められているのです。つまり、私たちは常に御言葉を土台に生きることが求められているのです(マタイ7:24〜27)。

                                     (2007.7.22)
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