トップ > 説教要約一覧 > ヤコブ書説教(2章)


【礼拝説教】  「世における貧しさ」  辻 幸宏牧師

ヤコブの手紙2章5〜9節

  5 わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。6 だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。7 また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、冒涜しているではないですか。8 もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。9 しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。



T.貧しい人を救いに導く主
 ヤコブは金持ちと貧しい者と分け隔てをしてはならないと語り、特に貧しい者に注目します。それは、通常、人は貧しい者よりも金持ちに対して配慮するのであり、「そうであってはならない」と語りつつ、貧しい者に対して目を向けることを訴えるのです。このことは、主イエス御自身の宣教によっても明らかです。聖書を開いて確認しましょう。
 ルカ4:16 イエス様は、故郷ナザレの会堂において教えられています。この時、イザヤ61:1〜2を読まれます(4:18〜19)。そして続けて主イエスは語られます。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(21)。イエス様御自身が、主によって油注がれたメシアであり、救い主であることを語る時に、特にこの福音が伝えられるのは、貧しい人であり、捕らわれている人、目の見えない人、圧迫されている人と語るのです。

U.富んでいる者
 なぜ貧しい者に福音が届けられるのか、その原因は富んでいる者たちに問題があるからです。ヤコブは二つ語ります。第一に富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くからです(6)。貧しい者たちは、負債を抱えることが多くあり、その負債のため金持ちたちは、彼らを裁判所に引っぱって行き、不当な利息を取り立てるのです。そして裁判によって、当時は権力者の側に有利な判決が下さることが多くあったのです。裁判に当たっては、偏りがあってはならないのです(申命記1:16-18)。
 第二に彼らはキリストの御名を冒涜しているからです(7)。主がお語りする御言葉に聞こうとはせず、御言葉に代わる別のものに自分自身を委ねているのです。ルカ福音書18章には、金持ちの議員の話しがあります。金持ちの議員も救いを求め、律法を守ります。しかし、彼は主の御言葉に聞き従うことが出来ないのです。主イエスは彼に「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(18:22)と語ります。彼は守るべき富があったのです。そして隣にいる貧しい人たちの苦しみを覚えることが出来なかったのです。人は、富・権力を捨てることが出来ないのです。非常に難しいのです。イエスは語ります。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(18:24-25)
 そしてもう一つ、当然のことですが、富を神の国(天国)に持って行くことはできないのです(ルカ12:13〜21)。つまり、人は、権力・富によって自らを誇示しようとし、またそれを失うことを非常に恐れるのです。しかし、人はそれを天国まで持って行くことは出来ないのです。また、人が権力や富を有すれば、主なる神さまのみを見上げることは出来なくなり、主の御言葉に耳を傾けることが出来ないのです。主の御言葉に聞き従う前に、自分の地位・富を守りたいからであり、御言葉で語られる主の命令と相反するからです。ここに自分中心の姿があります。権力・富が、偶像化しているのです。そしてそこには、隣人を愛することが出来ない自分がいるのです(8)。だからこそ、権力や富を持っている人が、真に主なる神さまによる救いを受け入れることは難しいのです。そして、神の御言葉は二の次になってしまいます。だからこそ主の招きがあってもすぐに対応できないのです(ルカ14:15-24)。そして結果的に、世における貧しさ、身体的な障害を持つ者が主の救いに与るのです。彼らは自ら固執するものがなく、主の御言葉に聞き従うからです。

V.富・権力を主人にするべからず
 主なる神さまが私たちを罪の死から救い出して下さいます。罪を赦し、永遠の生命をお与え下さいます。そのために御子イエス・キリストは十字架にお架かり下さいました。私たちは、富・権力・善き業によって救われるのではないのです。ただ主の一方的な恵みです。それを無条件に受け入れることが求められているのです。つまり、私たちにとって主人は主なる神さまお一人であり、富や権力が主人となってはならないのです。そして主が命じられる御言葉を私たちが聞く時、私たちは条件を付けてはならないのです。無条件に、全てを主に委ねて御言葉にひれ伏すことが求められているのです(Tコリント1:26-30)。世における貧しさ、それは経済的な貧しさではなく、私たちの心の欲望の貧しさであり、それらを捨てて、ただ救いに導いて下さる主なる神さまのみを見上げることです。
 だからこそ、主イエスは山上の垂訓においてこの様にお語り下さるのです。
 「心の貧しい人々は、幸いである 天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:3)

                                     (2007.9.2)
COPYRIGHT(C) 2007 日本キリスト改革派大垣教会  ALL RIGHTS RESERVED



戻る