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【礼拝説教】  「律法を実行うするとは」  辻 幸宏牧師

ヤコブの手紙2章8〜13節

  8 もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。9 しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。10 律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。11 「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。12 自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、またふるまいなさい。13 人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。



序.
 主は掟である律法を定め、主を信じ、主に従う私たちにそれに従うように求めておられます。その律法の核をなしているのが十戒です。この主が命じられている律法に対して、私たちキリスト者は、どのように向き合うべきなのでしょうか。

T.隣人を愛すること
 ヤコブは、立派な身なりの人と汚らしい服装の貧しい人とを差別してはならないと語りました。それは、あなたにとっての隣人とは誰かが問題となっているのです。レビ記19章には、隣人のために行うことが語られています。収穫物はすべて取り尽くさず、貧しい者・寄留者のために残しておくように命じます(9〜10節)。労働賃金は当日払うように命じるのも(13節)、貧しい者の不利益のことを考えてのことです。耳の聞こえない者・目の見えない者、つまり肉体的な障害者にも差別を行ってはならないのです(14節)。つまり隣人とは、貧しい者・弱い者・体に障害を持っている者など社会的弱者も含まれているのです。さらに言えば主が語られる隣人とは、私たちが全く関係のないと思っている人たちを含む、全世界の人であり、社会身分、民族、国家の違いを問題にしてはならないのです。
 これは現代的な問題です。金持ちと貧乏という社会的な問題は、現在日本でも深刻です。さらに、国と国、民族間の問題にも繋がります。今なお世界中で、テロの名の下、戦争が行われています。日本もそれに協力し、また戦争を行うことが可能にする政治的な動きも盛んです。武器を持ち戦争することは、相手を「隣人ではない」と公言することです。
 聖書は、ある人を「隣人とし」、別の人を「隣人ではない」と区別することを否定しているのです。従ってキリスト教会は、戦争を行える国になることを是認することは出来ないはずです。2000年の教会の歴史を見ると、キリスト教国にあっても、戦争を行ってきました。主の御前に罪を告白し、悔い改めるべきです。そのためにも、私たちは日本国憲法第9条を擁護すべきです。人と人、国と国を分け隔てすることは、主の御前に罪を犯すことになるのです。主の御前に行われる罪は、どれ一つをとっても律法の違反者であり、それはすべて死に値する違反者なのです。

U.律法によって示される罪
 ヤコブは、今まで隣人の対象者に関して語ってきましたが、続けて律法を守るとはどういう事であるのかを語ります(10〜11)。つまり、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」とは具体的にどの様な律法を指しているのかと言うことです。第五戒から第十戒の全てです。主は、これらの戒めを全て守ることを求めておられます。しかも、主は全てを支配されている方であり、私たちは何も隠すことはできません。主の御前にこれらの戒めを守ることは、行い・言葉・心の中の全てにおいてこれらの戒めを守ることです。
 私たち人間には不可能なことです。つまり、主が命じておられる律法を、完全に守れる者など誰一人いないのです。私たちはそのことに気付き、主の御前に罪人であることを認めるべきなのです。そして私たちは、主がお示し下さった律法に照らされた時、主の裁き、つまり最後の審判において、刑罰を免れることの出来ない者なのです(12)。そのため、私たちは主の御前で罪を恥じ、悔い改めを行い、赦しを請うことしか出来ないのです。

V.救いと救いに伴う善き業
 しかし主は、私たちを永遠の死に至らせるためだけに、私たちの罪を指摘している訳ではありません。同時に主を受け入れる者に、主による救いを提示して下さっています。これが福音です。主イエスは、私たち神による救いの民に代わって、地上の生涯の間、律法を完全に成就して下さいました。そして、神さまを信じる全て民の罪を償うために、キリストは十字架の上に苦しまれ、死を遂げられたのです。私たちは、自らの罪を受け入れ、罪を悔い改め、主イエスによる十字架の御業を受け入れることにより、罪の赦しが与えられ、主による救いが与えられ、天国における永遠の生命が約束されているのです。この救いを覚えるため、私たちは主の晩餐の礼典に与ります。
 私たちが全身で救いの感謝に満ち、救いの喜びに満たされていれば、不完全ながらも、主が求めておられる律法に従う者へと変えられていくのです。困っている隣人に手を差し向けることは非常に勇気のいることです。しかし救いの喜びに満ちた者は、主によって押し出されて行動するのです。そして憐れみに満ちた行為を、主も良しとして下さいます。

                                     (2007.9.9)
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