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【礼拝説教】  「言葉−賛美と呪い」  辻 幸宏牧師

ヤコブの手紙3章5b〜12節

  5 御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。6 舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。7 あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。8 しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。9 わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。10 同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。11 泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか。12 わたしの兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。



T.人の言葉がもたらす結果
 ヤコブは、主による救いに与った者は、それに伴う行いが生じるものであることを語ってきました。続けて口から発せられる言葉にどれだけ大きな力があるかを語ります。「どんなに小さな火でも大きな森を燃やしてしまう。」日本では62年前、広島と長崎に原爆が落とされ、また多くの都市が空襲に見舞われ、焼け野原となりました。現在でもイラクなど戦禍が絶えない国々があります。各々の戦争には様々な要因があるのでしょうが、最終的に最高指令者の決定があり、命令があり、戦争が遂行されるのです。
 舌から発せられる言葉には、それだけの大きな力があるのです。黙示録8:6〜9には、終末の時代の世界が描かれています。世界の1/3の滅びです。現在、世界には、黙示録が語る如く、世界の三分の一を滅ぼすだけの兵器を手にしているのです。為政者の言葉一つで、世界中を火の海にすることの出来る時代が、すでに到来しているのです。

U.世界を滅ぼす人の行い
 舌は「不義の世界」です(6)。現在、口から発せられる言葉により世界を滅ぼすことが出来る時代を迎えていますが、それは根源的に持っている人間の罪から来ています。全的堕落であり、人は生まれながらにして全面的に堕落し、罪人なのです。
 主は最初に六日間で天地万物を創造され、人は「神にかたどり、神に似せて、造られた」のです。しかし人は主のお与え下さったエデンの園の中から、採って食べてはならないとされた善悪の知識の実から採って食べ、罪が混入し、それが全ての人間に引き継がれているのです。そのため主が人に統治するように命じられたあらゆる種類の獣や鳥なども、秩序を乱すことになります。しかし、主の加護の内にあるため、生き物によって世界が破滅に向かうことはないのです(7)。従って、世界が滅びに至るとすれば、それは人の罪の業によるのであり、口から発せられる言葉によるのです。

V.救いと主の御言葉への服従
 しかしこうした中、まだ主は世界を破滅に至らせることなく保持され、さらに主なる神さまによる救いが私たちに提示されているのです。キリストの十字架の御業を受け入れ、主を讃美し信じる者が与えられるためです。これは滅びに向かっている私たちに与えられている主からの一方的な恵みです。私たちは、不義の世界に生き、全身が汚れ、地獄の火によって燃やされる世界へと向かっていたのです。そうした歩みをしている者は、主を讃美することなどあり得ないのです。しかし私たちに主は御霊により働きかけ、私たちは御言葉により主を知り、主イエス・キリストによる救いを受け入れさせて下さったのです。
 しかし、主を信じ、主を讃美する者が、一方では人を呪う言葉を語ります(9)。救われ罪赦された者であっても、なおも罪の残滓があるからです。そのため、主を礼拝している時は「自分はクリスチャンであり、主を信じている」との思いがありますが、礼拝が終わり教会から離れると、御言葉を忘れ、人の悪口を行ったり、非難したりしてしまうのです。これが私たち人間の姿です。そのため私たちは繰り返し罪の悔い改めが求められます。
 主はキリストの十字架により、あなたの罪を赦されたのですが、それは同時に、あなたと主なる神さま、あなたとキリストとの間に和解がもたらされたのです。だからこそ刑罰としての裁きではなく、赦しとしての永遠の生命が与えられたのです。同時に、あなたは仲違いしている隣人とも和解し、許し合うことが求められているのです。仲違いの原因が自分にあるのであれば、当然、悔い改め、赦しを求めなければなりません。また仲違いの原因が相手にあるにしても、あなたが主によって罪赦されたように、あなたがその人を許し、受け入れることが求められているのです。
 私たちが、真のキリスト者として求められていることは、今語られている御言葉を、一週間覚えて実践し、御言葉に生きるとことです。今、礼拝を献げたら、「神さまへの義務は果たした」ので、一週間何を行っても良いのではありません。主によって罪赦された者として、主の御言葉に生きることが求められているのです。主によって罪赦された者として、告白した信仰告白に生きることが求められているのです。真に主による救いに与る者は、今語られた御言葉を心に留め、一週間キリスト者として、キリストを証しし、キリストの語られた御言葉に生きる者です。そうすることにより、人を傷つけ、罪を犯す生活から、舌を制御し、主のお与え下さった恵みに感謝しつつ、全ての被造物を治める者とし、平和を実現するものとしての歩みを行っていくことが出来るものとされていくのです。



                                     (2007.10.7)
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