トップ > 説教要約一覧 > ヤコブ書説教(4章)


【礼拝説教】  「誇り高ぶりのもたらすこと」  辻 幸宏牧師

ヤコブの手紙4章13〜17節
  13 よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、14 あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。15 むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。16 ところが、実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りはすべて、悪いことです。17 人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。



T.野望によってもたらされる結果
 老若男女、夢を持ち、希望を持って生きているかと思います。しかし、これらの夢・希望は、一方で野心・野望に満ちたものであることも多々あるのです。いま私たちに与えられた御言葉には、野心を抱いて生きることの罪が指摘されていきます。
 「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」(13)。この言葉には、野望と共に強欲(金銭欲)がにじみ出ている言葉です。拝金主義とでも言っても良いでしょう。ここには、神さまはおろか他人も関係ないのです。自分だけです。すると人は「ではクリスチャンは金持ちになってはいけないのか?」と尋ねます。決してそうではありません。主イエスも金持ちになることを否定しておられません。マタイ25:14〜30ではタラントンの譬えが記されています。主人が旅行に出かける時、使用人にそれぞれ5・2・1タラントンの財産を預けます。1タラントンは6000デナリオン、つまり6000日分(20年弱)の給与に相当し、莫大な金額です。主人は帰ってきた時、5タラントン預けた者がさらに5タラントン稼いだことを誉めておられます。2タラントン預けた者がさらに2タラントン儲けたことを誉めておられます。そして1タラントン預けた者は、土に埋めていたことを叱責され、その1タラントンを最初の10タラントン持っている人に与えるのです。ですから、主は、金持ちになることを否定されている訳ではありません。
 私たちは現在日本における拝金主義と対峙しなければなりません。今の日本の情況は、民主主義という名の弱肉強食の世界であり、弱さを負っている者に対する配慮が取り去られ、愛のない世の中となっています。世に立てられている為政者の責任は大きいのです。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マタイ19:23-24)。主イエスは「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(同19:21)と語られ、周囲の人々に対する愛が欠けていることを指摘されます。またルカ12:13〜21には、愚かな金持ちの譬えも記されています。これが「商売をして金もうけをした」結果です。

U.主によって与えられるタラントン
 さらにルカ12章では続けて「思い悩むな」と語り、主が全てを養って下さり、全ての必要を満たして下さるお方であることを語ります(12:22〜34)。これはヤコブが4:14で語ることと合致することです。主なる神さまが天地万物を創造し、今なお全世界を統治されているのです。私たちの今日の命もまた、主なる神さまのお許しにより与えられているのです。それだけの権威を主は持っておられるのです。従って、今私たちが地上の命を授かっているのも主の恵みであり、また主は、主への信仰を告白し神の子とされた私たちが必要を求め祈り求めるものを、惜しみなくお与え下さるお方です。だからこそ、私たちは「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきなのです(15)。
 先程、マタイ25章のタラントンの譬えを語りましたが、「タラントン」という単価は、英語の'talent'「タレント(才能、能力)」の語源となる言葉です。主は、私たちに必要なタラントン、つまり才能をお預け下さるのです。それは私たちが生涯かけて稼ぐことが出来ないような膨大な金額の価値のあるものであり、人それぞれ異なるものでしょう。主は、主が私たちにお与え下さったタラントンを用いて、創造主である主の栄光を称え、キリストによる罪の赦しと救いに感謝しつつ、主を証しする生活を、求めておられるのです。
 主が私たちに命を与え、私たちにタラントンという必要な賜物を与えて下さるのです。私たちがそれらを用いて主を証ししつつ歩む時、主は必要なものをお与え下さるのです。私たちは、主への信仰を強め、主に委ねて祈り求める生活が、今求められているのです。
 だからこそ私たちは、将来の夢や希望を願う時、自らの欲望を願い求めるのではなく、主が私たちに必要なタラントンをお与え下さるように祈るべきです。主は、主が私たちにお与え下さったタラント(才能)を用いることを求めておられるのです。

                                     (2007.11.11)
COPYRIGHT(C) 2007 日本キリスト改革派大垣教会  ALL RIGHTS RESERVED



戻る