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【礼拝説教】  「富を蓄える誘惑」  辻 幸宏牧師

ヤコブの手紙5章1〜6節

  1 富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。2 あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、3 金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。4 御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、6 正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。



T.金持ちの向かう方向
 「よく聞きなさい」(1)は「導かれる、連れて行かれる」の意味の言葉です。「金持ちは連れて行かれる」と語るのです。私たちは金持ち、セレブに憧れるのですが、それは人間的な見方であって、主の立場からすれば、自己目的化した滅びに至る道なのです。だからこそ金持ちが神の国に入るより、らくだが針の穴を通る方が易しいのです(マタイ19:23)。ここでヤコブは、富んでいる者に対して、罪の悔い改めを求めているのではなく、主の裁きの宣告を語っているのです。セレブな生活は、不幸であり、悲惨であるのです。それは地上の生涯において訪れる場合もありますが、ここで語られることの主眼は、肉体の死後、最後の審判によってもたらされる永遠の死について語られていると言って良いでしょう。
 なぜ、主はそれほどまでに富に対する罪を指摘されるのでしょうか? 主が富を創造された根拠を考えてみなければなりません。それは、富める者と貧しい者とをつくり、差別と争いをもたらすためではありません。創造時、主は創造された全ての者を人が統治することを意図されていました。人が全てのものを統治し、また人が主を讃美し、主を証ししつつ生きていく上にあって、互いに分かち合い、助け合い、分配し合うために必要な制度として、主は富をおつくりになったのです。しかし、人は罪を犯し、自らの欲望を求めるようになりました。その結果、一部の者が富を蓄えることとなります。主が求められる本来の目的に用いられない時、主はそれを裁かれます。だからこそ主イエスは富める青年に貧しい人々に施すように命じられたのです(マタイ19:16)。

U.金銀がさびる
 「衣服に虫が付く」ことは理解できることです。しかし聖書は同時に「金銀もさびてしまいます」と語ります。さびないと思っている金銀も朽ち果てるのです。昨今のバブルがはじけた情況を思い浮かばせることが出来ます。「マネーゲーム」という虚像に踊らされ、それがはじける時、一瞬のうちに多くの人々が財産を失ったのです。また、地震や洪水などの自然災害によって、財産を全て失うこともあります。戦争は、最たるものです。また、金銀を神の国に持って行くことが出来ないことも私たちは知っています。
 しかし私たちは忘れてはなりません。金銀を含む全てを支配しておられるのは主なる神さまです。私たちの持っている富を突然奪い去る権能も、主が持っておられます。そのお方が最後の審判の時に、裁きを下されます。私たちの持っている富を吟味されます。富を持っていること自体に罪があるのではありません。その富を、どの様にして手に入れ、どの様に用いたかが問われるのです。

V.金持ちの裁きの理由
 金持ちに対する主の裁きの理由を、三つ考えることが出来ます。
 第一は、人々から搾取したものにより、富を得ることを行ったからです(4)。
 第二は、たとえ、不正な働きを行なわず、誰からもまた神からも後ろ指さされることを行っていないとしても、自分が多くの富を得た結果、周囲にいる人々の生活の状況を見ることが出来ず、見下し、贅沢三昧、快楽にふける生活を行っているからです。富をお与え下さった主への感謝を忘れ、本来あるべき富の用い方を行っていないからです(5)。
 第三に、正しい人を罪に定めて、殺したことです(6)。つまり、自らの欲望の故に、周囲の人々の貧しさを顧みることが出来ず、愛の援助を行うことをしないからです。今の日本社会を見渡したらその結果が見えてきます。働き場がない人、働いても暮らしていくだけの十分な手当が得られない人、病気にかかっても病院に行けない人、精神的な病気にかかる人がいます。またその結果、自殺、他殺、盗みなどの現実の犯罪も行われています。
 一人の者が金持ちになることは、周囲にどの様な結果をもたらしているか考えなければなりません。だからこそ、主を顧みることなく金もうけを考え、また結果、贅沢三昧の生活を行おうと考えている者は、主の御前に罪に定められ、裁きに向かっているのです。
 キリストは、私たちのために十字架に架かり、罪の贖いをなして下さいました。神によって主の御前に集められた私たちは、すでに神の子とされています。だからこそ、私たちは富の虜になってはならないのです。私たちは、富をお与え下さる主に感謝しつつ、同時に、創造の秩序に従い、富を用いていかなければなりません。

                                     (2007.11.18)
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