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【礼拝説教】  「忍耐と神の憐れみ」  辻 幸宏牧師

ヤコブの手紙5章7〜11節

  7 兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。8 あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。9 兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。10 兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。11 忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。



T.「忍耐せよ!」ではなく、「もっと寛容でありなさい」
 新共同訳聖書は表題が付けられ読みやすくなっています。しかし原典であるギリシャ語聖書には、表題だけではなく章・節も記されていません。7節では表題「忍耐と祈り」があり「兄弟たち」と語り始めます。いかにもここから新しい話しが始まるように思います。
 しかしここで大切な接続詞「だから、こういうわけで」が訳されていないのです。つまり、「最初に兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい」と語られると、「なぜそのようなことを言われなければならないのか」と反発したくなるものです。しかし聖書は、この前で「富は朽ち果て、〜金銀もさびてしまいます」と語り、主なる神さまを顧みることなく、欲望に生きる者は滅びると宣言していたのです。だからこそキリストの十字架によって救いに導かれたあなた方は、朽ち果てる地上の富に執着することなく、永遠の祝福である主を求め、主が来られるときまで忍耐しなさいと語るのです。
 また「忍耐」という語は、7節(2回)、8節、10節でも用いられていますが、「気を長く持つ、寛容である、そのままにしておく」という意味も持つ言葉です。むしろ10節の「辛抱」や11節の「ヨブの忍耐」の方が、「苦難、忍耐」といった苦しみを耐え忍ぶ意味が強いのです。つまり私たちは「忍耐しなさい」と語れると何か息苦しい思いがちですが、聖書は、「もっとおおらかに、寛容でありなさい」と語っているのです。
 また聖書ではよく、主なる神さまは多くの命令を発せられます。私たちはこれを「命令を守ったら救ってやる」、「救ってやるから命令を守れ」と読んでしまいがちです。そうであるならば信仰が窮屈になり歪になります。「そんなにしてまで救われようとは思わない」となります。しかし聖書をそのように読んではいけません。十戒では、前文が語られます。「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」。イスラエルは、エジプトに勝利・脱出し、約束の地カナンに入ることが約束されているのです。すでに神の民とされているのです。十戒はイスラエルが主から離れ信仰を失わず、罪の誘惑に陥らないように、律法である十戒をお与え下さるのです。これは新約の時代にあっても同様です。この主の愛を忘れて、主の戒めを読んではいけません。

U.確実に主によって与えられる神の国の祝福
 ヤコブは農夫を例に語ります。農夫は、収穫があるからこそ、忍耐強く、農作業を行うことが出来るのだと。現代はコンピュータ社会であり、安直に結果を求めます。しかし人は目標があれば努力します。甲子園を目指す選手は練習に労苦を惜しみません。しかし概して、楽をして優雅な生活をしたいという現代日本社会の風潮があり、そういう考えに対する警告がここで語られているのです。
 しかもここで語られる忍耐は必ず喜びが訪れるのです。農夫は収穫の喜びを期待しつつ、農作業にあたりますが、自然災害に遭えば、労苦は水の泡です。しかし聖書は、忍耐の結果喜びがあるであろうと語るのではなく、キリストの十字架により、神の子として永遠の生命が約束され、決定しているのです。主なる神さまを信じる者はすべて、真・義・聖である主なる神さまの子とされているのです。そこに例外はありません。自分から主の招きを拒絶しない限り、確実に永遠の生命の祝福に導かれているのです。だからこそ、「忍耐しなければ救われない」と金縛りになることなく、もっと気を楽にして良いのです。

V.ヨブに倣う
 そして聖書は最後に、ヨブを例に出して語ります。ヨブは主の祝福により、子どもと財産に恵まれていました。しかしサタンは、主の許可を受けてヨブに襲いかかります。サタンはヨブの財産を奪い、子どもたちを奪います。さらにサタンはヨブの体をも蝕みます。しサタンが主の許しがなければ、働くことが出来ないのは、私たちにとって慰めです。だからこそ、私たちを襲う試練を、私たちは耐えることが出来るのです(Tコリント10:13)。ヨブも主の言葉に耳を傾け、主の御前にひれ伏し、悔い改め、主に従います(40-41章)。そうすることにより、ヨブは以前にも増して、主の祝福に満たされるのです。これは主が私たちにお与え下さる神の国の姿を映し出しているのです。主が神の国において私たちにお与え下さる祝福と永遠の生命を覚える時、私たちは地上の生涯を、時として真に忍耐が必要でしょうが、気を長くして乗り切ることが出来るのではないでしょうか。
                                     (2007.11.25)
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