【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「私たちを照らす光」  ヨハネによる福音書1章4~5節



ヨハネによる福音書1章4~5節

1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。


Ⅰ.私たちの「命」、主のお語りになる「命」 その違い
 今、私たちは命があり、生きています。毎日を何気なく暮らし、朝になると目が覚め、支度をして、学校や働きの場に就くのではないでしょうか。それが当たり前であり、当然です。こうした毎日が、特別祝福されているとか、喜ばしいことであると、特に考えることはないでしょう。しかし、私たちは病気になったり、試練の中にある時、また身近な人の死に立ち会った時、命、生命を意識するのです。それは生かされている喜びである時もあれば、逃げ出したい・死にたいと思う人もあるかも知れません。生きたいけれども、苦しく、何をすれば良いのか途方に暮れる時もあるでしょう。
 しかしヨハネは「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」と語ります。主がお語りになる「命」とは、言の内、つまり神の内にあると語ります。
 ここで私たちは、立ち止まって考えなければなりません。私たちが語る「命」と、主がお語りになる「命」とは、同じであるのか、それとも異なるのか。私たちは、この両者にはっきりとした違いがあることを理解しておかなければなりません。なぜならば、私たちが語る命とは、肉体を伴い、死を避けてとおることができないからです。一方、永遠の存在である神の御子に命があります。それは永遠であり、死も滅びもありません。
 このことは、主が万物を創造された状態と、今日とは異なっていることを指し示しています。主が天地万物を創造された時、「神はこれを見て、良しとされた」のであり、それは極めて良かったのです(創世1章)。これはすべての被造物、私たち人間が、神の命に生きていたことを語っています。しかし私たちは今、死を避けて通ることが出来ず、神の命に生きていません。これがヨハネのいう「闇」であり、私たちを支配する「罪」です。現在に生きる私たちは、産まれながらにして、また日々の生活にあって主の御前に罪を犯しています。それは、私たちが主の御前に行い・言葉・心において、主の聖・義・真実に従い得ないことです。それ故、私たちは主の命に生きることなく、罪の刑罰としての死を避けてとおることが出来ない滅びへの道を歩んでいるのです。
 また、主がお語りになる「命」は、皆が持つことができるものではありません。つまり主を信じることなく、主がお示しになる「命」を受け入れなければ、真実の命を持つことは出来ないのです。つまり肉体的には生きていたとしても、主の御前では死んでおり、滅びに属するものです。

Ⅱ.御言葉によって獲得できる真実の命
 しかし、私たちの今の命と、主がお示しになる永遠の命との間に断絶があるわけではありません。なぜならば「命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」と主はお語りくださるからです。つまり主は、言、つまり御子イエス・キリストによって、言葉を発せられ、主が定められた真実の命を私たちにお示し下さっているのです。そして肉の死と共に神の裁きによる滅びに定められていた私たちは、真実であり永遠の生命である方を、御言葉によって知ることが出来、また信じることにより、私たちも、真実の生命、永遠の生命に生きることが出来るのです。
 しかし、永遠の命に与ることにより、肉の命も永遠になり、肉の死がなくなるわけではありません。しかし、キリストは人として地上の生涯を歩まれ、十字架の死を遂げて下さいました。そしてキリストは死に打ち勝ち、三日目の朝に甦り下さいました。神を信じ、永遠の命に入れられるキリスト者は、地上の生涯において肉の死を遂げても、キリストが復活して下さったように、復活の体が与えられる希望に生きることが出来るのです。
 しかし、「暗闇は光を理解しなかった」と記されているとおり、多くの人々は、主によって示されている永遠の生命を求めようとも受け入れようともしません。人々から死の恐怖を忘れさせ、日々の生活、日々の享楽が全てのように思いを向けさせる闇、つまりサタンの働きを私たちは忘れてはなりません。特に今、人々が生きることを真剣に考えている時代にあって、なおも真実の生命に目を向けることがないのです。
 私たちは、この後、聖餐の礼典に与ります。この聖餐に与ることは、キリストの十字架に繋がっているのであり、主がお示し下さっている命が与えられていることを確認することでもあります。主を信じることにより、私たちは永遠の死から解放され、神の命に入れられているのです。私たちは遅かれ早かれ訪れる地上の生涯を閉じ、つまり肉の死を迎えます。しかしそれと同時に、主は永遠の命の希望と喜びを私たちにお与え下さっています。主を信じることは、この希望に生きることが出来るのです。主によって与えられている永遠の生命の希望と喜びに満たされて、日々、歩み続けていきたいものです。


                                              (2009.1.11)


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